知られざる物語 京都1200年の旅

知られざる物語 京都1200年の旅

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2012年7月17日・24日放送 
「夏の彩り・納涼床 鴨川に流れる古都の歴史」

番組内紹介リスト







京の夏の風物詩、鴨川の納涼床。歓楽地として多くの人々が訪れ賑わう鴨川沿いは、なぜ華やかに発展していったのでしょうか。

橋の架け変えにより多くの人々が鴨川の河原沿いに集まるようになります。江戸時代になると、鴨川沿いは都の一大遊興地になっていきます。

華やかな文化が広がった鴨川。かつては"暴れ川"として京の人々に恐れられていた川でした。三条大橋のたもとにある壇王法林寺には加茂川龍神が祀られ、今も龍神伝説が伝えられています。

江戸時代になると暴れ川と恐れられていた鴨川は人々の生活を支える川へと変貌していきます。豪商・角倉了以が、京都の中心部と伏見の物流をつなげる為に、私財をなげうって鴨川を開削し物流用の運河・高瀬川が誕生。鴨川周辺は経済の中心地となっていきます。

江戸時代後期には、文化人たちが高瀬川・鴨川周辺に居を構えます。鴨川沿いは人々の憧れを集めていきます。時代と共に変化をしていく鴨川の知られざる物語に迫ります。

京都の夏の風物詩、鴨川の納涼床。川にせりだすように、しつらえた座敷で鴨川の風に涼を感じながら、京料理を楽しむのが納涼床の醍醐味です。京の歓楽地として多くの人々が訪れ賑わう、鴨川沿い。なぜ、鴨川の周辺は華やかに発展していったのでしょうか。

戦乱の後、豊臣秀吉が三条橋、五条橋を架け替えたことで、鴨川周辺に人々が集まり出します。河原には芸をする人々が集まり、鴨川周辺はしだいに文化や芸能の発信地になっていきます。江戸時代初期には、鴨川の周辺は一大遊興地になり、賑わいを増していきます。裕福な商人が鴨川周辺に茶屋を作り、座敷の延長として河原に床几を並べて客をもてなした事が納涼床の起源と言われます。

華やかな文化が広がった鴨川ですが、実は、かつては"暴れ川"として京の人々に恐れられていた川でした。平安時代ごろには、鴨川は頻繁に氾濫し人々は神仏にすがるしかありませんでした。三条大橋のたもとにある壇王法林寺には、加茂川龍神が祀られ、今も龍神伝説が伝えられています。天に住む龍神の怒りに触れると、鴨川が暴れだし水害が起こると考えた人々は、龍神を祀り心のよりどころとしたのです。龍神に祈りを捧げることは、人々にとって大切な儀式でした。

江戸時代になると、"暴れ川"と恐れられた鴨川は、人々の生活を支える川へと変貌していきます。豪商・角倉了以が、京都の中心部と伏見の物流をつなげる為に、私財をなげうって鴨川を開削し物流用の運河を作りました。これにより、鴨川周辺は経済の中心地となっていきます。この運河には、舟底の浅い"高瀬舟"が行き来したため"高瀬川"と名付けられました。江戸時代後期には、文化人たちが高瀬川・鴨川周辺に居を構えます。川の流れを利用した庭園、鴨川の流れが見える建築などがつくられ、文化の香りのする土地に変化し、鴨川沿いは人々の憧れを集めていくのです。時代と共に変化をしていく、鴨川の知られざる物語に迫ります。


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