知られざる物語 京都1200年の旅

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2012年7月3日・10日放送 「銀閣寺で花開いた日本の美」

番組内紹介リスト







東山の麓に500年前から静かに佇む銀閣寺。正式には東山・慈照寺という名を持つこの寺をつくったのは、室町幕府第八代将軍・足利義政。常に並び称される足利義満の金閣寺と比べ、簡素極まりない銀閣寺。しかし、実は一見飾り気のないこの銀閣寺に、日本人の精神に今も生き続ける「和の文化の起源」が存在するというのです。

銀閣寺の象徴・観音殿。通称を銀閣というこの観音殿は、足利義政の山荘・東山殿に造営された建物で、後に銀閣寺の由来となりました。銀閣寺の境内にこの観音殿と共に創建当時から残る、応仁の乱で荒れた世に祈りを捧げるためにつくられたという東求堂。そして、この東求堂内で最も重要な場所といわれるのが、四畳半の小さな部屋「同仁斎」。
同仁斎は、現存する最古の書院造りの部屋で、現在の和室の原型となった場所。釈迦の弟子が修行した部屋に基づき造られたというこの小さな空間は、世俗から隔離された「宇宙」をあらわすといいます。
義政が、書を読み茶を楽しむなど静かに過ごした同仁斎。身分にとらわれず、様々な能力ある者を重用した義政は、この部屋で茶の湯や生け花などの日本の伝統文化が生み出したのだといいます。

自身の美意識の象徴である銀閣(観音殿)の建立に心血を注いだ義政。しかし義政は銀閣の完成を待たずしてその生涯を閉じてしまいます。そして後の世、義政の遺志を継いだ者たちが銀閣を完成し、銀閣寺として後世へ遺し、伝え続けているのです。

さらに、銀閣寺から生まれた様々な文化を学べる慈照寺・研修道場、銀閣寺で生まれた茶の文化を今に見ることができる炭屋旅館などを訪れ、現代の京都に息づく銀閣寺発祥の文化を紹介します。

現在の日本人の美意識をつくった、銀閣で花開いた様々な文化。応仁の乱など数々の戦乱が巻き起こる激動の時代に生まれた日本の美の源とは、果たしてどんなものだったのか? その裏に隠された知られざる物語に迫ります。


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