SHISEIDO presents エコの作法
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2014年9月5日・9月26日放送
「護る×奈良の国宝」 

古都・奈良は日本の仏教が産声を上げた場所。国宝に指定された寺と仏像の数は奈良が日本一です。大和の国が「日本」となったのは奈良時代。この国が末永く平和であるようにと奈良の都にはたくさんの寺が作られました。大陸から伝わった文化を吸収し私たちが新しい一歩を踏み出したその証しは1300年の時を超えて護られてきました。

華厳宗・大本山東大寺。国の安泰を祈る国家鎮護の寺として創建されました。ここでは目に入るもの全てが国宝といっても過言ではありません。しかしそのほとんどが度重なる災害や戦火で消失し再建を重ねてきました。東大寺の中で最も創建当時の風情を残すと言われる南大門は鎌倉時代の再建、日本一大きな金剛力士像もこの時に。中門は江戸時代の再建。世界最大級の木造建築・大仏殿。これも三代目の建物。国宝・盧遮那仏坐像。世界で最も大きい金剛仏です。時の聖武天皇は国の安定を願って大仏建立を決めました。当時の人口の約半数が大仏を作りたいと各地から集まったそうです。この二月堂は大仏開眼に合わせて建てられました。「お松明」や「お水取り」で知られる「修二会」は国家の安泰と万民の幸福を祈願する法要です。二月堂の舞台からは平城遷都以来奈良の都に鎮座する寺や神社の数々が見渡せます。

元興寺は日本で最も古い歴史を持つ寺。元々は蘇我馬子が飛鳥に作った寺でしたが大化の改新で蘇我氏が没落。平城京に移され国立の元興寺となりました。屋根瓦の一部には飛鳥時代に遡る日本最古の物も。奈良時代の僧侶・智光。智光が暮らした僧坊は極楽坊とよばれ今も本堂の中に残されています。本尊を祀る内陣とよばれる一角には極楽坊の室内が当時のまま使われています。太い円柱は天平時代の代表的な様式。角柱に見える文字は奈良時代に刻まれたもの。

翠にきらめく猿沢池と興福寺の五重塔。奈良を代表する風景の1つです。興福寺は藤原氏ゆかりの寺。藤原氏の繁栄により興福寺も勢力を拡大していきました。五重塔は藤原不比等の娘で聖武天皇の后となった光明皇后が建てたものです。全盛時の興福寺には百数十棟もの伽藍が作られたといいます。興福寺の国宝・阿修羅像。古代インドの阿修羅は闘う神とされ多くの阿修羅像はもっといかめしい顔をしています。しかし興福寺の阿修羅像はとても華奢で表情は子供のような純粋さを感じさせます。光明皇后が亡き母の冥福と共に亡くなった子供の成長した姿を思い描いたのではないでしょうか…。

日本随一の美しさといわれる白鳳伽藍がまぶしい薬師寺。戦国時代の争乱で焼け落ちてから450年。昭和42年に写経勧進による復興が発願され再建されました。昭和の人々が蘇らせた金堂には400年もの間仮のお堂で暮らした本尊・薬師三尊蔵が安置されました。そもそも薬師寺は天武天皇が皇后の病気平癒のために建てたもの。薬師如来はお薬師さんとして親しまれる医療と薬の仏さまです。その後皇后は無事回復。そんなご利益のある薬師如来の台座を見ると世界中の文様が描かれていました。その文様からは世界中の文化を吸収し国造りに生かそうとしていた国際都市・平城京の姿が垣間見えます。

盤石な国をめざして作られた「平城京」。近年朱雀門と大極殿が復元されましたが当時の建物はほとんど残されていません。唯一平城京の建物が現存しているのが唐招提寺。真の仏教を伝えるため失明してまで日本にやってきた鑑真和上が作った寺です。最初に建てられた講堂は平城京の宮殿にあった建物を天皇から賜り移築しました。唐招提寺で最も古い校倉造りの経蔵。これも皇族が米蔵として使っていたものを貰い受けたのだとか。正倉院の校倉よりも古い建物といわれています。

8月7日。東大寺ではお盆の準備が始まっていました。お盆を前に「お身拭い」という大仏さまの大掃除が行われます。参加するのは僧侶だけではなくお寺に縁のある人々。白装束にわらじ履きで身を清めて仏様に向かいます。そして8月15日大仏殿の前で万灯供養会が行われます。綺麗になった大仏様のお顔が姿を現しました。大仏さまは今も多くの人々の心の拠り所となっています。

日本最古の都・奈良。その周辺には多くの古墳も残されています。その一つ箸墓古墳。そして第12代景行天皇陵。これらの古墳は初期の大和政権があったといわれる三輪山から奈良の都を繋ぐ「山の辺の道」に沿って点在しています。奈良にはそんな王朝の移動の記憶を辿れる道がいくつも残されています。

その中の伊勢につながる街道の途中で686年に開かれた古い寺、真言宗・豊山派総本山長谷寺。「花の御寺」と呼ばれ枕草子や今昔物語の中にも登場する美しい寺。本堂は初瀬山の中腹にあり399段の登廊を上がって行きます。距離は煩悩と同じ108間。一段一段登るうちに身も清められるといいます。元々は東大寺の末寺でしたが後に新義真言宗の寺となり今に至ります。午前6時。修行僧たちの作務が始まっていました。そして朝の勤行。山内の僧侶が一同に会しまだ明けやらぬ初瀬の山に荘厳な勤行が響きます。本尊・十一面観音立像。長谷寺は観音信仰の総本山。この観音様は長谷観音信仰の根本像です。大きなおみ足に触ると願いが叶うと言われています。この長谷寺には本尊の観音様に捧げるための宝があります。それは寺で学問の修行をする学僧たちによって受け継がれて来た声明です。古くは東大寺の大仏開眼供養の時に唱えられたという声明。長谷寺で受け継ぐのはその後空海によって伝えられた真言声明です。

春日山の麓に鎮座する春日大社。藤原氏ゆかりの神社で平城遷都にあわせ国の平安を祈るために作られました。御祭神のタケミカヅチノミコトは日本を秩序ある国にするためにあらゆる神々と交渉した神様。しかしご神体はこの社殿の中にはありません。春日大社のご神体は社殿の背後にそびえるこの御笠山です。境内はこの御笠山を含む春日山一帯およそ30万坪です。その周辺の自然林は春日山原始林と呼ばれ世界遺産にも数えられています。春日山からは奈良の市街地が目の前に見渡せます。これほど街に近いところにある原始林はとても珍しいのだとか。しかし春日大社のご神体である御笠山の部分は神域として立ち入りが禁止されほとんど人の目に触れる事はありません。山をご神体とする春日大社ではいたるところで樹木を大切にする心に触れる事ができます。樹齢800年の松。よく見ると根元から枝分かれした大木が屋根を突抜けていますが伐採されることなく生き続けています。境内にある接社や末社はほとんどが小さなお社。必要最小限の木材に留め無駄を出さないという心のあらわれです。能舞台の背景となった「影向の松」です。しかし平成7年に朽ちた事から伐採されました。でもよく見ると背後に細い松の木が…。春日大社では倒木などで失われた木の後には同じ種類の木を植えるのが伝統となっています。

奈良の都は古の人々が日本という国の形を夢見た場所。先人が日本誕生に込めた祈りは国の宝に姿を変えて今も日本の行く末を見守り続けています。自然の中に神を見いだす心と仏を想う心を1つにして私たちはたくさんの宝を生み出しました。それが日本の美でありエコの作法なのです。

華厳宗大本山 東大寺

〒630-8587
奈良県奈良市雑司町406-1
TEL:0742-22-5511
FAX:0742-22-0808

春日大社

〒630-8212
奈良県奈良市春日野町160
TEL:0742-22-7788
FAX:0742-27-2114

春日山原始林

〒630-8212
奈良県奈良市春日野町春日山原始林

法相宗大本山 興福寺

〒630-8213
奈良県奈良市登大路町48
TEL:0742-22-4096

真言律宗元興寺

〒630-8392
奈良県奈良市中院町11
TEL:0742-23-1377

薬師寺

〒630-8563
奈良県奈良市西ノ京町457
TEL:0742-33-6001
FAX:0742-33-6004

唐招提寺

〒630-8032
奈良県奈良市五条町13-46
TEL:0742-33-7900
FAX:0742-33-5266

平城京跡(平城京歴史館)

〒630-8012
奈良県奈良市二条大路南4-6-1
TEL:0742-35-8201

サヘル・ローズさん


<プロフィール>
1985年、イラン生まれ。1993年来日。高校時代からラジオレポーター等の芸能活動を開始。大学と専門学校を卒業し、現在は、女優をはじめ、情報番組のキャスターやリポーターなどとして幅広く活躍中。