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2014年8月15日放送
「説く×遠野物語」
岩手県、遠野。カッパにザシキワラシ、不思議なものたちの息吹が残る里。この地に今から100年ほど前魅せられたのが民俗学者の柳田国男。民話を訪ねて「遠野物語」を書き記しました。
「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」
平地人とは近代化された都市に住む人のこと。「遠野物語」序文の言葉です。民話とはかけ離れた都会暮らしの人を戦慄させてまで伝えたかったこと。柳田国男が遠野で見聞きしたものとは…。
岩手県、遠野。集落は大きく東京都23区程と同じ規模を誇ります。古くから交通の要所だった遠野。細い峠道、馬や牛が行き交いました。また遠野は山仕事には欠かせない馬の産地でもあります。馬は古くから信仰の対象でもありました。
明治43年119話からなる物語を一冊の本にまとめた柳田国男。人と人ではないものが仲良く寄り添って暮らす遠野。天神ノ森を訪れた時不思議な祭りを見たと書き記しています。しし踊りです。狩りで犠牲になった鹿の供養とも山の精霊たちへ猟を祈願するまじないだとも伝えられています。こうした不思議な物語を柳田に話し聞かせたのが遠野出身の佐々木喜善でした。佐々木は村に伝わる具体的な地名や人物をそのまま柳田に聞かせました。庶民の実名と一緒に記された異界の者たち。それが遠野の暮らしだったのです。
遠野在住で遠野物語を研究している大橋さんに伝説の地を案内していただきます。やってきたのはとあるお寺。お寺の脇、清らかな小川に言い伝えられる「カッパ伝説」。ここはその名もカッパ淵。語り部の一人、カッパおじさんこと運萬さん。多くの人に親しまれるカッパ。遠野ではカッパは間引きされた子供とも地域を守る水神様の使いとも言われています。かつてどこか遠くではなく暮らしのごく身近なところにいた神様。遠野にはその精神が今も残ります。
遠野の文化や歴史を残す伝承園。この地で古くから使われてきた南部曲り家があります。曲がり家の特徴はその作り。住まいの一番奥が馬やになっているのです。L字型になっているので「曲がり家」と呼ばれています。ひとつ屋根の下、人と馬が暮らした遠野ならではの作り。そんな暮らしから生まれた物語も残されていました。馬と人との悲しい恋の物語です。娘は馬と夫婦になりますが父親は馬を桑の木につりさげ殺してしまいます。哀しんだ娘は馬にすがりつきそのまま天に昇ってしまいました。オシラサマを祀ったオシラ堂。オシラサマは馬が吊るされた桑の木でできています。農業、養蚕、馬の神様、そして「知らせてくれる」神様、オシラサマ。人々はオシラサマに願いを託すようになりました。馬に対する愛と恐れから生まれた神の姿です。
家に現れると幸福をもたらすというザシキワラシ。遠野物語ではザシキワラシの出た家が実名で書き記されています。一族が一斉に死んでしまいこの地を去ってしまったザシキワラシ。今は当時使っていた井戸にだけ歴史が残されています。
柳田国男が遠野で書き記したのは庶民に伝わる文化、土着信仰としてあがめてきた世界。それはその土地に伝わる生きるためのルールでもありました。合理性を求めるばかり目の前にあるものしか信じられない現代人。だからこそ見えにくくなった真実がある。遠野の話がいつしか失われる前に伝え残していかなくてはならない。その思いから柳田は筆を取ったのです。
そもそも柳田国男は遠野で何を感じたのでしょうか?
老いという時間の向き合い方。あの世との曖昧な境界線が独特の民話を生んだと考えたのかもしれません。
江戸時代中期、この地を襲った飢饉で亡くなった数万人を供養するために、たった一人の僧侶が地蔵を刻みました。山全体を寺に見立てた五百羅漢。奥には本堂に当たる場所もありました。五百羅漢よりもさらに険しい山道。抜けたところにあったのは続石です。2つの岩の上に乗る巨大な一枚岩。驚いたことに片方は宙にういたまま。地震の時でも動かなかったという不思議な岩です。祀られているのは山神様。遠野物語ではこの辺りは山神様の遊び場だったと伝えられています。中には馬の神様も。遠野物語では山の神は恐れの対象でもあり豊かさの象徴でもありました。
ある日突然神隠しにあった幼い女の子。30年が経った頃、突然姿を現わしますがそれは山姥のような姿でした。柳田に遠野の話をした佐々木喜善。この神隠しの話は架空の地名で伝えました。遠野物語に魅せられたのが漫画家、水木しげるさん。目にはみえないけれど感じるもの。何かに生かされていると思う心。ふと風が変わる時。あの世ともこの世ともつかない境界線を越え現れてくる妖怪。柳田国男に触発されて生まれたのが…そう「ゲゲゲの鬼太郎」でした。昭和の大ブームとなり妖怪の代名詞ともなった鬼太郎たち。恐れを形にし戒めを伝える存在の妖怪が子供たちの心を刺激したのです。そして現在大ヒットとなっている「妖怪ウォッチ」。いつの時代も人気を集める妖怪たち。
こうした妖怪に姿、形を持たせたのが室町時代に描かれた「百鬼夜行」でした。そして現在と同じような「妖怪ブーム」に沸いたのが江戸時代。妖怪で遊ぶ双六。江戸時代の妖怪ブームのおもちゃです。降り出しは子供達がみんな集まっての怪談話。サイコロを振って進む1つ1つに妖怪キャラクターが現れます。そして上がりに君臨するのは「化け猫」。お馴染みのキャラクターから意外なものまで。怖いけどどこかおもしろい。子供たちの好奇心をくすぐる妖怪たち。背筋も凍るような恐ろしいものからクスっと笑えるものまで様々な妖怪たちが絵の中で暴れまわりました。
浮世絵を集めた太田記念美術館。全国各地に伝説が残る、大酒飲みの妖怪、酒呑童子。浮世絵には古くから登場しました。こちらは土蜘蛛。妖怪退治で知られた頼光に襲いかかる場面。恐ろしい声で鳴くという「鵺」。顔は猿、胴体は虎、しっぽは蛇という妖怪。広重の有名な「大はしあたけの夕立」。実はこの絵をパロディーにした妖怪の絵があるんだそうです。両国橋の橋のたもと。誤って落ちてしまった雷様を水の中に引きずり込もうとする河童がいたのです。そうはさせじと必死の形相の雷様。こんな物語が橋の下で繰り広げられていたんですね。目には見えない異界の者たちの姿。
遠野物語ゆかりのものを題材にした作品。岩舘さんの切り絵作品です。元々はグラフィックデザイナーでしたが遠野物語の世界を切り絵で伝えていこうと切り絵作家に転身しました。約30年間物語を一枚の切り絵にしてそのミステリアスな世界へと見る者を誘います。幾つもの伝説を説く遠野物語。その中で姿形をもつ神様がいました。訪ねたのはとあるお宅。神様が家にいるという安部さん。その神様というのは「オクナイサマ」です。農作業で忙しい時仕事を手伝ってくれたオクナイサマ。家に幸せをもたらす守り神様として代々大切に祀っています。
柳田は物語の99話にこんな話を収めています。生と死。遠野を訪れる数年前に起こった明治三陸大津波で被害を受けた集落。遺体が見つからない妻の新盆を終えた帰り。男が霧の中で見たのは亡き妻の姿でした。死を受け入れ悲しみをどう乗り越えていくのか。遠野物語は人間の生きていく姿をも伝えているのです。
柳田国男が伝えたかったこと。それは深く日本人の精神に根付いた恐れ敬う心。どうにも説明できないことも受け入れて生きていく。遠野物語はこれからの生き方を見つめ直す、古くて新しい物語だったのです。