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2014年7月11日放送
「辿る×四国八十八カ所霊場」
四方を海に囲まれた島・四国。太平洋の荒波と瀬戸内海の静けさを両手に見下ろすように西日本の最高峰がそびえたちます。そんな日本の縮図のような島に開かれたのが四国八十八ヶ所霊場。この霊場は今年、開創1200年を迎えます。弘法大師・空海が辿ったといわれるその道は遍路道と呼ばれ、今も、多くの人が歩き続けています。常に弘法大師が寄り添い、八十八カ所すべてを辿れば悟りが開けると言われる…。今回は空海の修行した霊場を辿り、四国遍路とは何かを探ります。
四国八十八ヶ所霊場とは弘法大師・空海ゆかりの札所寺院とそれを繋ぐ道。そんな四国遍路の始まりは阿波の国。鳴門の港に最も近い四国霊場一番札所、霊山寺。発心の道場はここから始まります。四国の地に人々を救済する霊場を開こうとした空海はこの寺で37日間の修行を行いました。ここは遍路の心構えをする場所。遍路の装束や作法について説明しますと…白装束は心を無にしてこだわりを捨てるという意味。輪袈裟は仏様に対しての正装である袈裟を略したもの。菅笠は今の時期、雨露をしのぎ、夏の暑さからも守ってくれます。金剛杖も欠かせません。この白装束は行き倒れた時にはそのまま死に装束となりました。車も無く道も悪かった頃、四国遍路は死をも覚悟して向かう巡礼でした。
高知県最初の札所は荒波うち寄せる室戸岬の突端。潮が満ちるまでに通り過ぎないと波に足をとられてしまいます。この太平洋をのぞむ室戸岬こそが若き日の空海が悟りを開いた場所なのです。参道に海風と波の音が聞こえる修行の道場最初の札所。第24番札所、最御崎寺。この寺の建つ岩山を下ったところに19歳の空海が修行したといわれる洞窟があります。この洞窟は「御厨人窟」と呼ばれています。鳥居があるのは洞窟の中に五所神社というお社があるから。大国主命を祀っています。洞窟はあの世とこの世をつなぐ場所。ご祭神の大国主命はあの世をおさめる神様です。ここで厳しい修行に励んだ若き空海は何を見たのか…。静かな水平線が二つの青を分かち、目の前に見えるのは空と海だけ。「空海」という名前はここで生まれました。
自然あふれる室戸岬には3つの札所があり室戸三山と呼ばれます。特に最御崎寺と金剛頂寺はそれぞれ、東寺・西寺と呼ばれ空海の修行の跡を今も感じられる札所として親しまれています。
四国を歩いて分かるのはまだまだ昔のままの自然が残っていること。そのことは昔の歩き遍路がいかに大変な旅であったかを想像させます。少し脇道に反れれば今でも昔の面影を残す古い遍路道があちこちに残っています。
空海の時代、四国は熊野や吉野で修行した人々がさらなる修行の地を求めてやってくる場所でした。庶民が旅の感覚で遍路に向かうようになるのはずっと後のことです。初めて遍路のガイドブックを作ってその普及に尽力したのが真言宗の僧侶・真念です。無料の宿泊所や道標も整備し、四国八十八カ所霊場の原型を作り上げました。真念の作った道標は今も道を指し示しています。
修行の道場、土佐の遍路道はほとんどが海沿いの道。もともと四国遍路とは海沿いを歩いて修行するもの。「遍路」という言葉も海沿いの道を表す「辺地」から変化したものと言われています。
四国の最南端、足摺岬。ここは太平洋の黒潮が日本で最初に到達する場所。第38番札所、金剛福寺。やっとのことで到着しましたが門は閉まっていました。歩き遍路にはこんなことも付き物。灯りのついていた隣の宿坊を訪ねてみました。今回は泊まれましたがこちらの宿坊も毎日開いているわけではないそう。そして昨日閉門に間に合わなかった金剛福寺をお参り。秘仏のご本尊も見せて頂くことができました。今年は四国霊場開創1200年を記念して期間限定で開帳しています。金剛福寺のご本尊、三面千手観音立像。三つの顔は現在、過去、未来を表しています。シルクロードから伝わった宝石を使い、680年前に作られたもの。補陀洛院の観音様は常に水平線の向こうの浄土を見つめていました。浄土は仏教が生まれたインドの方角にあり、黒潮が最初に届く足摺は浄土に最も近い場所と考えられました。遍路が海沿いの道を歩くのは海の向こうに浄土を求める心のあらわれなのです。
高知県から愛媛県に入ると、遍路道は徐々に海の風景から山の風景に変わっていきます。西日本最高峰、山岳信仰の地として知られる石鎚山。第45番札所、岩屋寺。空海が修行した寺は海抜700メートルの山中にありました。ここは八十八カ所の中、境内まで最も長い距離を歩かねばならない寺です。途中の山門を抜けても本堂までまだまだ石段が続きます。麓からおよそ20分。ずらりと並ぶ水子地蔵を過ぎるともうすぐ本堂がある境内が見えてきます。境内で参拝を済ませるとほとんどのお遍路さんは山を下ります。しかし空海の修行場はここだけではありません。見上げると背後に高くそびえる岩山があります。ここがかつて空海が修行した場所です。岩山の頂上はこの山門の先…。
山道を登ることおよそ20分。ちょっと心細くなってきた頃、目の前に小さな小屋が現れました。奥に扉があります。先程受け取った鍵はこれを開けるためのものでした。見上げると扉の向こうには岩がパックリと二つに割れています。ここはセリ割り行場という修行場。この細い岩の間を登って行くようです。上から見ると思ったより狭い岩場です。しかし、ここで終わりではないです。なんと上から鎖がぶら下がっています。登ってみたところ上にはなんと梯子がかかっていました。そこをさらに登るとてっぺんにあったのは小さなお社。白山権現を祀っています。目の前は木々に遮られてはいましたが、遠く雲海が広がっていました。ここまでやってきた者にしか見えない景色。修行とはそれをやったものだけにしか見られない自分だけの風景に出会うことでもあるのです。
四国遍路は弘法大師のふるさとで幕を閉じます。第88番札所、大窪寺。八十八カ所全ての遍路を締めくくる結願の地です。お遍路さんたちはここで同行二人、遍路道を共にした杖を奉納し帰路につきます。
八十八の札所を辿りながらその道々で見えて来るのは自然の風景。海に囲まれ、山をいただく四国という土地はそこを歩くものに宇宙の繋がりさえ感じさせてくれます。四国遍路とはそんな自然の力を借りて、新しい自分を発見する旅なのです。
第1番札所 竺和山 一乗院 霊山寺 〒779-0230 |
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第24番札所 室戸山 明星院 最御崎寺 〒781-7101 |
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第38番札所 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺 〒787-0315 |
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第45番札所 海岸山 岩屋寺
〒791-1511 |
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第75番札所 五岳山 誕生院 善通寺
〒765-0003 |
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第88番札所 医王山 遍照光院 大窪寺
〒769-2306 |