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2013年2月15日・3月1日
2014年2月21日
「報せる(しらせる)×梅」
厳冬のなか、凛と清楚な花を開き、ほのかな香りと共に春の訪れを告げる「梅」。
もともとは中国から渡来しましたが、その歴史は古く、弥生時代にはすでに日本に伝わっていました。
とかく桜と比べられますが、万葉の時代の花見と言えば「梅」でした。
万葉集で詠まれた歌も、桜より梅の方が多いのだとか。
「梅一輪、一輪ごとのあたたかさ」。
と俳句にも詠まれたように、梅は一番早いうちから花開き、春の兆しを感じさせてくれる花。
一輪、また一輪と花開く姿に、私たち日本人は喜びと安らぎ、想いを託してきました。
梅はわずかな春の兆しを感じとり、私たちに報せてくれます。
一輪一輪、ゆっくりと花開き、長い間、咲き続ける梅は、
末永い繁栄を思わせ、古来、目出たいものとされてきました。
「梅」という言葉で、すぐに思い出されるのが縁起物の「松竹梅」です。
そもそもは、中国の『論語』に出てくる「歳寒三友」のこと。
人生の冬にこそ頼りになる強くて清廉潔白な三人の友という意味です。
日本人はこれを縁起物としました。
京都の梅の名所、北野天満宮。
梅の名所の中でも、開花時期が早いとされる北野天満宮ですが、
今年の寒さは梅にもこたえたようです。まだ花は、ぽつり、ぽつり…。
今年一番に開いた梅を教えてもらいました。
早咲きの枝垂れ梅「照水梅」。一輪一輪よく見ると、下向きに咲いている花の多いのが分かります。
下向きに咲く花は、水面に映った姿も楽しめることから、水に照る梅「照水梅」と名付けられました。
境内の梅の中からもうひとつ、ちょっと変わった木を教えてもらいました。
白梅の雲龍梅。菅原道真公が亡くなって1100年の大祭で記念に植えられた梅の木です。
枝振りは、まさに龍が天に昇るよう…。
花の美しさに負けず劣らず、枝振りが見事なのも梅の特徴です。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」。
桜は枝を切ると、そこから枯れてしまうといいます。
一方で、成長の早い梅は、放っておくと枝が混み合い、花と実のつきが悪くなります。
それが「梅切らぬ馬鹿」といわれる理由。
梅の枝というのは、一年間で1メートルも伸びます。
複雑に重なり合う枝や太い幹から直接伸びる、花をつけない枝などを切って、梅がもっとも美しく見える樹形を作ります。これから梅が花開く季節。木全体にまんべんなく花を咲かせるのも剪定の仕方次第です。
花は、瑞々しい若木の部分にしか咲きません。そうした梅の木の性質を考えながら、梅の気持ちになって、剪定します。あくまでも、花が美しく咲くように…。
一方、3年以上たって花を付けなくなった枝は樹皮が乾いて幹へと変化し、
今度は木としての風格が増してきます。年齢に応じた美しさがあるのは梅も人間も同じです。
梅の花と木が作り出す美しさは手入れする人の、手と思いに支えられています。
梅は見れば見るほど不思議な木です。小さくて丸い可憐な花と、ごつごつと年老いた枝と幹。
まるで、少女と老人のような二つの表情。そんな梅を題材に、絵師たちは傑作を生み出しました。
梅の幹と枝を大胆な構図で描いた歌川広重の「名所江戸百景・亀戸梅屋舗」。
当時、梅の名木と言われた「臥龍梅」が描かれています。水戸光圀が名付けたという名木は、龍が大地に横たわっているような素晴らしい枝振り…。目の前に幹を持って来る大胆な構図で「木」としての梅の魅力を描き切りました。
浮世絵とはまた違う世界で、日本一有名な梅の絵を描いた画家がいました。
琳派の絵師、尾形光琳です。
国宝・紅白梅図屏風。琳派の最高傑作と言われる作品も梅の絵でした。
この屏風は、毎年、梅の季節になると一般に公開され、春を報せてくれます。
石川県金沢市。茶道がさかんで、伝統の和菓子の文化を育む金沢は、梅とも縁の深い町です。
お城の瓦には、よく見ると梅の紋が…。
加賀藩主、前田家の家紋は「加賀梅鉢」。菅原道真公を祖と仰いだ前田家は家紋にも梅を使いました。
加賀百万石の伝統を守る金沢には城下町ならではの梅の和菓子がありました。
「落雁・諸江屋」江戸時代末期に創業。以来、160年に渡り加賀銘菓の伝統を伝える和菓子の老舗です。
四季折々の風景を表現する和菓子。
しかし、ここ金沢では、季節を問わず、梅の形のお菓子が並んでいます。
落雁は和菓子の中でもっとも歴史が古く、茶席には欠かせないもの。
梅にゆかりのある金沢では様々な梅の形の落雁が作られました。
諸江屋には、代々伝わる梅の木形が現役で活躍しています。
北野天満宮
京都府京都市上京区御前通今小路上る馬喰町 |
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MOA美術館
静岡県熱海市桃山町26‐2 |
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濱文様 |
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落雁 諸江屋 本店
石川県金沢市野町1-3-59 |