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2011年5月13日・27日放送 「灯す×蝋燭」
ろうそく。周囲を照らしながら、やがては、なくなってしまう・・・
いにしえより、人生や愛、知恵や教えの象徴とされ、大切にされてきました。
「灯す」にこめられた日本人のエコの心をナビゲートしてくれるのは、詩人、アーサー・ビナードさん。
アメリカ生まれのアーサーさんは20年前に来日したちまち、日本語の世界に魅了されました。
失われつつあるという日本の「灯す」文化。でもこんな所に残されていました。
「灯す」。その言葉にはどこか人のぬくもりが感じられます。
それは、雪国であれば、なおのこと。
古い運河と、レンガの町並みをやさしく灯した、無数のキャンドル。
その数、およそ13万個。
今でこそ有名な小樽の美しい町並みはその昔、たった1人の市民の声により奇跡的に残されたもの。
13年目を迎えたこのイベントも、市民の声で始まり、すべてボランティアに支えられています。
今、女性達の間で人気なのがキャンドル教室。
作るのも、またキャンドルの楽しみ。
様々なアイディアで、多くのキャンドルアートを作りだす、キャンドル創作家の笹本道子さん。
日本独自のろうそく、和ろうそく。
元々大陸から伝えられたろうそくが、日本でも作られるようになったのは戦国時代の終わりだといいます。
和ろうそくの特徴。それは、ゆったりと、大きく、消えにくいその炎。
そして、神事にふさわしい落ちついた佇まい。
そんな和ろうそくの伝統を守り続ける人がいます。
愛媛県 内子町(うちこちょう)、ここに、ただ一軒残る和ろうそく店、「大森和蝋燭屋」。
創業200年余り。
当時の手法を受け継いだ和ろうそくは、大英博物館にも展示されているのだとか。
和ろうそくは全てが天然素材。
芯は、和紙とい草、ろうは、植物由来のはぜろうです。
かって日本の森に多く生えていたハゼノキその実からとれる脂肪分が和ろうそくの原料。
一日にできるのは、わずか50本ほど。
それでも太郎さんがこの方法にこだわるのは連綿と続く先人たちの「灯す思い」を絶やしたくないから。
できあがった和ろうそくはほんのりしたうぐいす色。
はぜろう本来の色です。
さらに、日本人はろうそくに美しさも加えました。
色とりどりに描かれた花たち、絵ろうそくです。
江戸時代、東北や北陸地方で生まれた絵そうそく。
暗い雪国を照らすろうそくに、花を描いたのがはじまりです。
お花を供えるかわりに絵ろうそくを灯したのだとも。
消え行くものにも美をほどこす日本人の心。
島根県、大田市(おおだし)世界遺産石見銀山のふもと、大森町(ちょう)。
人口わずか430人ほどのこの町は、銀山で栄えた昔の面影を今に残しています。
島根県指定文化財の武家屋敷、阿部家。
日本の昔ながらの暮らしをもう一度見つめ直す場所。
通称、ろうそくの家。
それは いにしえの暮らしに根ざした空間。
あるのは和ろうそくと囲炉裏の火だけ。
この家には、電気というものがありません。
明るさとひきかえに失ってしまった多くのもの・・・。
闇の中で、ろうそくが教えてくれたのは、暮らしのなかの、忘れかけていた豊かさ・・・
美しさは、ほの暗さの中にこそある。
谷崎潤一郎は、著書「陰翳礼讃」で、こう記しています。
「われわれ東洋人は 何でもない所に
陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。
美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す
陰翳のあや、明暗にあると考える。」
月山の麓、山形県鶴岡市、黒川地区。
ここで、500年もの間守り伝えられてきたものがあります。
谷崎がほの暗さの中に見出した美の一つ。能です。
国の重要無形民俗文化財、黒川能。
神社の拝殿内にある能舞台で
ろうそくの灯りだけで能を舞うのです。
この蝋燭能のためだけに作られた、十貫目という、大きな和ろうそく。
それは はるか昔の日本人が見たのと同じ、幽玄の世界。
谷崎は、美しさを書き連ねました。
「灯す」
それはただ明るく照らすことではなく陰影をともなったほの暗いあかり。
そこにこそ、日本の美の心が息づきます。
大森和蠟燭屋 住所:〒791-3301 |
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高澤ろうそく
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群言堂
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黒川能
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笹本道子手作りキャンドル教室
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