にほん風景物語
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福沢諭吉のふるさと 大分・中津 ~「学問のすゝめ」の原点を訪ねる~
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」の書き出しで始まる
福澤諭吉の『学問のすゝめ』。明治維新の5年後、日本が国家存亡の岐路に立った時期の1872年から76年の間に記された書は、日本の人口が3500万人程だった当時、17編で合計約340万部も売れた脅威のベストセラーです。しかし実はこの本、福澤の故郷である大分県中津市に、明治4年に開校した中津市学校に学ぶ学生たちに向けて書かれたのが始まりだと言われています。
中津市は、山国川の河口部に広がる城下町。軍師黒田官兵衛ゆかりの中津城の北側に面した中津干潟は、太陽の光と酸素が海底に十分に行き渡り、微生物が繁殖しやすく、小魚やカニを育む豊穣の海であり、中津は古くから漁業が栄えてきました。
また、中津干潟へと注ぐ山国川の中流から上流域は、競秀峰や一目八景などの景勝地でもあります。
日本の近代化に大きく貢献し、明治維新後、日本人の新しい生き方を人々に啓蒙した
福澤諭吉。"学ぶ事"にこだわった思想はどのように育まれたのか・・・
干潟の恵み"鱧"や伝統菓子"柿巻"を味わい、福澤諭吉が愛した故郷の風景を
作家・高橋源一郎が旅します。