うたの旅人

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初回放送:2011年1月25日「旅の宿」




東京から北へ約700km。
本州の最北端、青森県。
2010年12月4日、新青森駅まで東北新幹線が伸び、東京と青森が3時間20分で繋がった。

1968年の晩秋。当時は、上野−青森間は特急「はつかり」が約8時間半で結び、27歳だった岡本おさみも新婚旅行で青森を訪れていた。十和田湖に近い十和田市の一軒宿「蔦温泉旅館」。10畳一間の和室で、火鉢の鉄鍋にとっくりを浮かべて熱かんをつけ、寒さをしのいだ。ほろ酔いになった妻が、道で拾ったススキをかんざしのように髪にさし、窓枠の向こうには左半分が欠けた月。「あの月はなんて言うんだっけ?」岡本が聞くと、妻が「上弦の月よ」を教えてくれた。

浴衣の君はススキのかんざし――
――この新婚旅行の体験談を岡本おさみが「温泉で口ずさむような詩」にしたのが「旅の宿」だ。

岡本は当時、吉田拓郎司会のラジオ番組の構成作家をしていた。後にヒット曲を生む名コンビとなる2人だが、酒を飲んだり、議論をしたりしたことは、一度もないという。ただ岡本は原稿用紙に詩を書いて吉田拓郎に郵送した。

その3年後の1972年6月、「旅の宿」が発売される。5週連続チャート1位、70万枚を売るヒットとなり、岡本おさみにレコード会社からの作詞依頼が殺到した。だがそのほとんどを断った岡本はラジオの仕事も辞め、旅に出る。20日旅に出て10日自宅にいる生活。3、4ヶ月のつもりが3、4年続いた。岡本は、それらの旅の思いを「旅の宿」と同じように吉田拓郎に郵送した。その中のひとつ、吉田拓郎作曲で森進一が歌った「襟裳岬」は、74年に日本レコード大賞を受賞する。

今も愛される吉田拓郎と「旅の宿」。

学生運動が終息した70年代。その屈託のない声、勢いのある旋律は、反体制など政治色のにおいがしない新しい時代のフォークソングの幕開けだった。また今でも、「なんてピュアな男女の詩だろう。」と若手にカバーされ、舞台の蔦温泉には、当時からの拓郎ファンが年に数十組泊まりに来るという。

――時代も世代をも超えて、現在も愛される"旅を詞にした曲"「旅の宿」。

まさに「うたの旅人」に相応しいこのうたの誕生した地・青森の蔦温泉を訪れ、今も変ることのないその情景を探し求める。
そして、何故このうたが人の心の襞にしみ入り、いつまでも色あせないのか、その秘密に迫る。