うたの旅人

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初回放送:2010年2月19日「よさこい節~南国土佐をあとにして」





カチャカチャと鳴子をならし、思い思いのリズムで踊り行進するよさこい祭り。
今や全国にその名をつけた祭りが約2000ヶ所もあるという。なぜ土佐の高知の「よさこい」がこんなにも広まったのか、今回はその秘密をさぐる土佐高知への旅である。
「よさこい」この意味はよくわからない。一説には山内一豊の高知城建設工事の際歌われた木遣り節の掛け声「ヨイショコイ」が変化したもの。そしてもう一つは「夜いらっしゃい」の意味だというのだ。古いよさこい節の1節に♪よさこい晩にこい といわんすけれど 来てみりゃ真実こいじゃない♪とあるように、誘われた男が行ってみると期待をうらぎられたとぼやく歌詞からきているというのだ。いずれにしてもこのよさこい節、全国的に広まったのは、1958年NHK「歌の広場」の高知での公開放送で、よさこい節の1節を取り込んだ「南国土佐を後にして」が放送されたことから始まる。放送後この歌の問い合わせが殺到したという。歌ったのはジャズやポピュラーを都会的に歌い人気のあったペギー葉山さん。葉山さんは断ったが断りきれず「好きなように歌ってよければ、1回だけ」という条件で歌ったのだ。その歌がレコード化されると大ヒット。当の葉山さんもびっくり仰天した。♪南国土佐を後にして 都へ来てから幾歳ぞ 思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を・・・♪ 今思えば日本の高度成長時代、それを支えた地方出身の労働者たちの応援歌になったのだと振り返る。
土佐のよさこい祭りは1954年、阿波踊りのような夏の名物踊りを高知でもと、いう狙いで始まった。歌は全国的になったが、祭りはそれほど広がらなかった。しかし転機は1972年フランス・ニース市のカーニバルに招待されたときにおとずれた。この時踊りの振り付けを担当した、日本舞踊家荒谷深雪さんがサンバのリズムを取り入れたのだ。これが成功し踊りの自由度がぐっと広がった。「よさこい」には踊り方も衣装も拘束はない。鳴子を持って前進することのみである。キーワードは「自由」。土佐には「自由」がよく似合う。
よさこい節の冒頭で歌われる「はりまや橋」は高名なわりには、行ってみてびっくりの「がっかり名所」と言われていたが、近年人工的に堀川を復活させ太鼓橋をかけ整備された。
この橋にまつわる恋物語は幕末の土佐系の志士たちが、京都の宴席で座敷歌にして花柳界を中心に定着したといわれる。♪土佐の高知のはりまや橋で坊さん簪買うを見た♪
女犯禁制の坊さんがなぜ簪を買ったのか?この結末は「はちきん」とよばれる土佐の女の気性を表しているという。