「火事と喧嘩は江戸の華」といわれた、江戸時代から日本の都心を流れる神田川。昭和48年(1973年)、その神田川を舞台に江戸っ子気質とは対極にある歌が生まれた。かぐや姫の歌う「神田川」。今回はこの名曲「神田川」の誕生秘話を南こうせつさんに、そして神田川にそって源流から河口まで仲秋の東京を旅する。
この歌は、「軟弱な4畳半フォーク」と揶揄された。しかし、またたくまに若者たちの心をとらえ大ヒット曲になる。単調なメロディに、都会の片隅に生きる若者の日常の一齣を切り取った歌詞。時代がこの歌を育てたのかもしれない。
この歌が生まれた1970年代は、優しさの時代ともいわれる。吹き荒れた若者たちの反乱は、一敗地にまみれ挫折、他人への愛とともに、自分流の生き方を貫くという自己への愛へと終息していった。作詩をした喜多條さんは、学生時代に神田川べりの木造2階建て下宿の2階の3畳一間に、同級生の彼女と住んだ。そのときの思い出を詩にしたのだ。喜多條さんから、電話で受け取った詩を書きとりながら、歌っていたと南こうせつさんはいう。まさに憑依としか言いようのない曲の誕生である。
この歌詞に南さんだけでなく、かぐや姫のメンバー全員が感動し、自分の思いを注ぎ込んだという。歌のイントロの忍び泣くようなバイオリンのメロディは、バイオリン奏者の武川雅寛さんが即興で奏でた。
この歌がなぜ若者の心をつかんだのか。貧しいけれど"若かったあのころ、何も怖くなかった"と言い切る女の強さ。そして切なさ、いじらしさ。しかし、最後に"貴方のやさしさが怖かった"と"男のやさしさ"のなかに潜むどんでん返しを、本能的に察知している女の気持を歌うことによって、小さな幸せの危うさを感じさせたのだ。
しかし、20年後"貴方のやさしさが怖かった"は実は男の気持を歌ったものだと作詞をした喜多條さんが表明、最後の貴方は女性を指すというのだ。女性の気持を歌う歌は、この1行の主語が男性に転換する。
このことは、軟弱どころか「やさしさに安住しないぞという男の闘争宣言」に他ならない。
南さんは「夢が見えなくなるのが怖い」という歌の意味を知って、ますますこの歌が好きになったという。
南さんはいま東京をはなれ大分県の海辺で暮らし、畑を耕す。
自分らしく生きるのが幸せ。
「家は漏らぬほど、食は飢えぬほど」という茶の湯の価値観に日本人のプライドがあるという。
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