大阪南部・河内平野。ここに住む男たちが一番燃える夏。毎年この季節になると、毎日どこかで盆踊りの櫓が建つ。この櫓の上で、音頭取りと呼ばれる男がうたい、女がうたう。そして河内が燃える。河内音頭である。喧嘩囃子といわれる河内音頭には、一説に「百派千人」といわれる数多くの音頭取りがいる。今回はこの河内音頭から全国的になった「河内おとこ節」のルーツを求めて旅をする。
大阪・河内。生駒山をのぞむこの地を一躍有名にしたのは、生臭坊主といわれた今東光和尚の「悪名」である。週刊朝日に1960年から翌年にかけて77回連載された。
登場人物は、この地のやくざ者と娼妓ばかり。当時の週刊朝日の連載ものとしては、びっくり仰天の内容であったという。しかし評判をとり「悪名」は河内のおっさんの気性と、それを育む風土を、明確な輪郭で世間に定着させた。
一言でいえば「ガラの悪さ」である。だが、地元では、特に欠点とみなされず、むしろ長所と前向きにとらえられ、誇り高い自覚にまで至っている。
そしてもう一人、この河内をこよなく愛した作家がいる。司馬遼太郎である。
司馬は生涯、河内に住みここを離れることはなかった。この2人が住み着いたことで、河内の「ガラの悪さ」は小説や歌という文化にまで高まった。
さて、河内の夏を騒がす盆踊りの主役音頭取り。いわゆる主演歌手だが、普段は植木屋、ダンプ運転手、溶接工に公務員とさまざまな職業をもっており、それぞれの工夫でアドリブや節回しで独自の河内音頭を歌う。
歌い手の個性が強く、他人と同調しない者ぞろいともいえる。
その中で、一目置かれる音頭取りがいる。小説「悪名」のモデル「モートルの貞」を父に持った久乃屋初美姐さんである。初美姐さんの櫓は、最も古い河内節を伝える八尾・常光寺。初美姐さんはこのお寺の門前に親の代から住んでいる。「河内おとこ節」を引っ提げて全国デビューした中村美津子さんともたびたび櫓で共演したという。
河内のおっさんたちの「ガラの悪さ」を櫓を通して垣間見る旅は、今東光和尚の活躍した八尾・天台院と貝塚・水間寺へと向かう。
ここでの河内のおっさんたちの行状が小説「悪名」として結実していったのだ。
♪一に度胸や二に人情 あとは腕ずく ああ・・・腕しだい
"われ、なにさらしてけつかんねん"
こんな「おっさん」たちの巣くう河内だが、ケーキー屋のレベルが意外と高いと聞いた。
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