うたの旅人

うたの旅人

  • トップページ
  • バックナンバー
  • contents3
  • contents4

バックナンバー

初回放送:2009年8月28日「青葉城恋唄」





「青葉城恋唄」この唄は時代が生んだ歌かもしれない。
1978年 「地方の時代」という言葉が流行語となっていた。
「時代を象徴する地方発の歌」として新聞や報道番組が盛んに取り上げた。
今回はこの「青葉城恋唄」誕生の秘話を求めて東北・仙台を旅する。

1978年仙台七夕祭りの前夜祭でふた組の歌手が「青葉城恋唄」を歌った。
ダークダックスとさとう宗幸である。中央から流れるテレビの歌謡番組ではもっぱらダークダックスに声がかかっていた。しかし、この前夜祭の時、観衆の大喝采を受けたのはさとう宗幸さんであった。
「青葉城恋唄」が名実ともさとう宗幸さんの歌となった瞬間であった。
当時、さとうさんは地元仙台では名のしられたミュージシャンで、地元FM放送の生放送番組を持っていた。その番組の中の作詞作曲コーナーに1編の詩が届いた。「青葉城恋唄」である。それにさとうさんが曲をつけた。詩を送ったのは、アマチュア作詞家の星間船一さんである。この唄が地元FM放送で繰り返しながされるころ、キングレコードのディレクターの赤間剛勝さんのもとに3曲入ったデモテープが持ち込まれた。3曲目の「青葉城恋唄」が耳に残った。仙台で生まれた赤間さんには、広瀬川と青葉城はなじみの風景であった。レコーディングできると思った。しかしさとう宗幸という歌手は、いかんせん全国的には無名である。売るための宣伝費もかけられない。
ここから赤間さんがとった手法が面白い。ここはひとつ有名コーラスグループのダークダックスに歌わせよう。
バッターボックスに立てなければ、ヒットも打てないという理由からだ。この案がまんまと当たった。レコードの売り上げはダークダックスからさとう宗幸へと逆転していった。

その年(1978年)の暮れ「青葉城恋唄」は日本レコード大賞や有線大賞など軒並み新人賞候補になり、日本作詞大賞では「UFO」(作詞:阿久悠)をおさえ受賞した。
地方発が中央を制した画期的出来事であった。
その後もさとうさんは仙台を離れず音楽活動を続けているが、俳優歴のほうが華やかだ。
「地方の時代」。この言葉は今また「地方分権」と言葉を変えて姦しい。
しかし、この30年で音楽の世界は一足早くこの流行言葉を実現している。
「地方発」の楽曲が全国ヒットする。インターネットの配信が手軽になったからだ。
さとうさんの案内で杜の都仙台の街を散策、さとうさんが地方にこだわり続ける思いを語ってもらう。