うたの旅人

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初回放送:2009年7月3日「かあさんの歌」





この歌は戦後の「うたごえ運動」の輪からひろがり、ダークダックス、ペギー葉山が取り上げ歌うようになり全国的に広まった。作詩・作曲は窪田聡(本名久保田俊夫)さん。窪田さんは昭和10年東京の下町、墨田区京島で5人兄弟の4男として生まれる。詩の情景は農村。東京生まれの窪田さんがなぜ農村を舞台に「かあさんの歌」を書き上げたのか。今回はこの曲の生まれた背景を訪ねる旅である。
長野県信州新町。窪田さんは戦争中この地に疎開していたのだ。うたの情景は当時の農村の生活そのものである。そこに母の姿を詠い込んだ窪田さんには、高校卒業後、母との長く、苦い葛藤があった。大学に合格するが家出、音信不通の不肖の息子であった。困窮する生活の中、居場所を探り当てた母から幾度となく差し入れがあった。このときの母への想いを疎開時代に見た光景と重ね合わせ、詩にしたのです。JR長野駅から国道19号を30分ほど走った山あいの村、この国道沿いの小さな公園に「かあさんの歌」の歌碑がたっている。1989年かっての疎開中の同級生が中心になって作ったのだ。その除幕式の時、がんで弱った体を押して窪田さんの母けさゑさんがきてくれた。式のあと「俊夫、よかったね」とつぶやいた。窪田さんにとって人生で初めて、母が自分を認めてくれた言葉だという。
岡山県瀬戸内市牛窓。今、窪田さんは終の棲家を温暖なこの地に構える。古くから瀬戸内海の交通の要所として栄えてきた小さな港町である。その名残は町のいたるところにあり、往時の繁栄を物語ります。
山深い信州安曇野、東京の下町、そして瀬戸内と自分の生活の場を音楽活動の原点として来た窪田さん。「かあさんの歌」が歌い継がれたわけを、日本の高度成長時代、故郷に帰れないひと達の応援歌だったと分析します。アコーデオン片手の「うたごえ運動」は母の願いとは必ずしも一致しなかったが、窪田さんの音楽放浪の旅は最終章を迎えます。