建物遺産~重要文化財を訪ねて~

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旧鹿児島紡績所技師館

薩摩藩士・石川確太郎、五代友厚は、紡績事業の必要性、イギリスへの留学を藩に上申。15名が留学し現地で当時世界最大の紡績機械メーカー「プラット&ブラザーズ社」に工場設計と技術者派遣を依頼した。第12代藩主・島津忠義により機械工場西隣りに日本初の洋式機械紡績工場である「鹿児島紡績所」が建設され、併せて、イギリス人技術者7名の宿舎として「鹿児島紡績所技師館」が建てられた。技師館外観は洋風の和洋折衷の建物。木造、二階建で1階の四方に開放のベランダがついたコロニアルスタイル。イギリス人技師は1年で帰国。その後、西南戦争負傷者の仮病院にもなり、明治15年(1882)に鹿児島城本丸跡に移され、第七高等学校造士館の教官室などに使用されたが、昭和11年(1936)元の場所に移築された。