建物遺産~重要文化財を訪ねて~

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旧集成館機械工場

19世紀に入り、開国を求める外圧に対抗するため、薩摩藩第11代藩主・島津斉彬(なりあきら)は、別邸「仙巌園」の隣接地を切り開き、大砲鋳造等を行う工場郡を建設した。「集成館」と名づけられ、多岐にわたる事業(集成館事業)を展開、薩摩藩の近代化を推し進めた。文久3年(1863)の薩英戦争によって工場群は焼失したが、近代技術の必要性を痛感した島津忠義(第12代藩主)により事業が再興された。再建された建物の一つがこの「集成館機械工場」。不燃化を目的に石造壁で造られた。奥行13m、長さ77mにも及ぶ長大な平屋建の洋風工場。レンガではなく、溶結凝灰岩が用いられた。錬鉄製サッシの窓、木造トラス構造の小屋組は、我が国最古のもの。大正4年(1915)に機械工場閉鎖。大正12年(1923)「博物館尚古集成館」として新たなスタートをきった。玄関車寄せはその時に増設されたもの。我が国初期の石造工場建築として文化史的価値がある。平成27年(2015)、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録された。