戦いが聴こえた ~ラジオが伝えた太平洋戦争~

戦いが聴こえた ~ラジオが伝えた太平洋戦争~

放送内容

終戦を伝えたラジオ 玉音放送の仕掛け人


8月6日広島、8月9日長崎。
日本に立て続けに原爆が落とされた。御前会議を開き降伏を決断した首脳陣はただちに中立国スイスを通じて連合国側に降伏を伝えようとした。
しかし、いつ3発目の原爆が落とされるかわからない中、電報では時間がかかりすぎる。そこで考えられたのが、ラジオを使っての降伏の伝達だった。
海外放送を行っていたラジオトウキョウ。ここで働いていた住友幸一さんは、8月10日の夜のことをよく覚えているという。
外務省の担当者から渡された政府声明。その内容は「日本政府は天皇の大権が侵されないという了解の下、降伏を受け入れる」。1つの歴史に終止符が打たれた瞬間だった。
発表を受けて、アメリカの放送局VOA(ボイス・オブ・アメリカ)も日本の降伏を伝える日本語放送を開始。
しかし短波ラジオを所持することを許されていなかった日本国民は、その事実を知る術がなかった。そうした状況下、日本の首脳陣は再度御前会議を開催。8月14日に行われた御前会議で、昭和天皇は次のように発言した。「マイクの前に立つ」。この一言によって、玉音放送の実施が決定した。それまでの日本では考えられなかった、前代未聞の玉音放送。
実は陰の仕掛け人がいた。下村宏情報局総裁だ。下村さんは8月8日、たった1人で天皇に拝謁(はいえつ)。その場で玉音放送の進言をしたとされる人物だ。
玉音放送が録音されたのは8月14日。下村さんと、NHKの録音技師として収録に立ち会った玉虫一雄さんが録音を終えて帰路についたとき、坂下門で玉音放送に反対する近衛兵たちに捕えられ監禁された。
しかし彼らは玉音盤を持っていなかったため、反乱軍は宮内庁に入り通信網を遮断。陸の孤島と化した皇居で玉音盤の大捜索が始まった。玉音盤はついに発見できず、このクーデターは軍上層部の知るところとなり鎮圧。こうして翌15日正午、無事、玉音放送は放送されることとなる。
番組では、「玉音盤を奪取せよ」という反乱軍の命令のもと任に就いた、当時近衛兵だった絵内正久さんと和久田正男さんをはじめ、歴史の生き証人たちへの取材を敢行。
録音当日から玉音放送にいたるまでのドラマを、ドキュメンタリータッチで描く。

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