坂東三津五郎がいく 日本の城ミステリー紀行
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「迷宮の砦・松山城」

勇壮な巨城の光と影

松山城は、松山市の中心部である勝山山頂に築かれた広大な平山城(平野の中の山や丘に建てられた城郭)です。大天守の標高は約161mとなり、姫路城の約3倍になる高さです。築城したのは加藤嘉明、豊臣の「賤ヶ岳の七本槍」に数えられ、秀吉の朝鮮出兵でも水軍を率いて活躍した名将です。また加藤清正・藤堂高虎と並び「築城の名手」ともいわれます。松山城は加藤嘉明がそれまでの経験を生かして、立地を生かし防御を追及した難攻不落、四国最大の名城です。
築城は1602年ですが、天守は一度落雷により焼失、その後再建されたのは1854年という幕末の時代です。ペリー来航の翌年という日本が大きく変わり、城の役目も終わりつつあった時代に建てられています。日本で最後の完全な城郭建築ともいえる貴重な存在です。
しかし、なぜ、そのような時代に、あれほどまでに戦闘的な巨城を造ったのでしょうか。
厳しくも美しい松山城。その迷宮のような城郭の魅力と謎に迫っていきます。松山城の大きな特徴は、迷路のような造りの防御体制、そして連立式天守です。天守・櫓を四方に配し、それぞれを廊下で繋ぐという堅固な防御体制であり、天守防衛の究極の形とも言われる「連立型天守」の秘密とは?
今、現代の松山は司馬遼太郎の「坂の上の雲」で沸いています。主人公、秋山兄弟・正岡子規を生んだ土地、松山。なぜ、松山は日本を動かす人物を輩出したのでしょうか。
そこには、幕末から明治への松山藩の激動と苦難の歴史と松山城の辿った数奇な運命が背景にあったと言います。