熱中世代 大人のランキング

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2016年5月8日

熱中ゲスト

俳優 柄本 明

独特の雰囲気でどんな役でも演じてしまう俳優・柄本明。1976年に自らが座長となり「劇団東京乾電池」を結成。演劇ファンの間で一躍大ブームとなったこの劇団を40年間率いてきた。 さらに映画やテレビドラマでも活躍。俳優として走り続けてきたその原点と、“不思議な魅力”に迫る。

“東京”で生まれ育ち… 柄本明の原点 

柄本さんは1948年、東京・銀座で生まれた。映画が大好きだった両親のもと、自身も大の映画ファンに育ったという。地方出身としばしば間違われることもあるという柄本さんだが、本質には“東京人”であることが深く関わっているという。柄本さんが語る“東京人”、その気質とは? 高校卒業後に営業マンとして働いていた柄本さんは偶然観たアングラ劇団の舞台の“くだらなさ”に惹かれて演劇の道を志すことになる。 すぐに会社を辞めた柄本さんだったが、演劇人になるために最初にしたことは、フランスの劇作家、サミュエル・ベケットの全集を抱えて文化人の集まる喫茶店の前をうろうろすることだった…。

目指したのは“くだらなさ” 劇団東京乾電池 結成秘話

吉田日出子さんや佐藤B作さんらを輩出した名門劇団、「自由劇場」に入団するも、3年で劇団を飛び出してしまう。そして1976年、ベンガルさん、綾田俊樹さんと共に劇団東京乾電池を結成。結成直前に3人が行ったコントは「割り箸仮面VSスプーンマン」。ベンガルさんが骨折し、綾田さんが流血したという、伝説のコントの内容とは?
そして、3人が劇団で目指したものは“くだらなさ”。過酷な稽古の中、即興でコントを作り上げていった。しかし、劇団が大ブームになったことで、柄本さんはわざと退屈な芝居がしたくなったという。
試行錯誤をしながら理想を追い求めた柄本さんの“青春の日々”を当時の貴重な舞台映像を交えて紐解く。

“役作り”はしない!? 不思議な役者論

数々の映画やテレビドラマで個性を発揮してきた柄本さんだが、「役作りはしない」という。
役者を「他人が描いた人物を演じる、“不自然”な仕事」と表現する柄本さんが語る“不思議”な役者論とは。

妻・角替和枝さんとの夫婦円満の秘訣

柄本さんの家族は、長男・柄本佑さんと次男・柄本時生さんも俳優として活躍する芸能一家。2人の息子との微妙な距離感とは。
そして、奥さんの女優・角替和枝さんとも長年 劇団東京乾電池を一緒に盛り上げてきた仲だ。そんな角替さんとは毎朝行っている、ある“習慣”があるという。会話が絶えない柄本さん夫妻の夫婦円満の秘訣に迫る。

カルチャーランキング

熱中世代が好きな「西部劇映画 ベスト5」

西部劇は、古き良きアメリカの代名詞として数多くの作品を世に送り、俳優の登竜門的な役割も果たしてきた。
初期こそ勧善懲悪のヒーローが人気を集めたが、人権尊重や冷戦といった社会情勢を反映させて次第に単なるヒロイズムの賛美だけでなく、開拓地という厳しい環境で暮らす人々の弱さやエゴなどを描いていくようになる。
50代以上のオトナたちに好きな作品を聞くと、名作の声だけでなく、「子どもの頃、おもちゃの銃で遊んだ」等の思い出を語る人も多くいた。
「荒野の七人」「荒野の用心棒」「駅馬車」「リオ・ブラボー」それぞれの作品のそれぞれのスター。
〝熱中世代〟のオトナはどの作品を選んだのか…?
往年のスター俳優、ジョン・ウェイン、スティーブ・マックイーン、クリント・イーストウッドなど名優たちの演技、そして銃さばきにも目が離せません。
お楽しみに!!

柄本 明(えもと あきら)さん

1976年劇団東京乾電池を結成。座長を務める。
1998年「カンゾー先生」にて第22回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。
以降、映画賞をさまざま受賞。映画のみならず、舞台やテレビドラマにも多数出演し、2011年には紫綬褒章を受章した。