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2015年6月14日
熱中ゲスト
女優 有馬稲子(後編)
女優・有馬稲子さんをゲストに招きお送りする<後編>。壮絶な引き揚げ体験、宝塚歌劇団時代の思い出、日本映画の黄金期のエピソードなどに続き、今回は、時代劇の大スター・中村錦之助さんとの結婚、“人生をかけた”舞台への思い、そして現在の“おひとりさま”の暮らし方、さらに「恋」についても大いに語ってもらう。
〝銀幕スター〟の恋と結婚
当代きっての時代劇スター・中村錦之助さん(のちの萬屋錦之介さん)と現代劇のスター・有馬さんが結婚したのは1961年のこと。スター同士の恋はどうやって芽生えたのか、そして、スター同士の結婚とはどういうものだったのか。戦後最大と言われた豪華な結婚式など当時の貴重な映像や写真と共に、2人の結婚生活を振り返る。
舞台への〝転身〟と〝決意〟
結婚を機に女優業から離れていた有馬さんだったが、錦之助さんと共演し人気を博した映画「浪花の恋の物語」の舞台化に際し、周囲から出演を切望されたことがきっかけで、女優としての活動を再開した。そして舞台でも名声を得るようになった有馬さんだが、ある時、一から芝居の勉強をしたいと、俳優・演出家の宇野重吉さんが創設した劇団「民藝」の門を叩く。
そんな有馬さんが今も大切にしているのは、宇野さんからもらった手紙。有馬さんの性格を戒めつつ、有馬さんを励ますその手紙に書かれている言葉とは―
傾けつづけた情熱「はなれ瞽女おりん」
地人会による舞台「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」(演出:木村光一)。有馬さんが最初にその作品に出会ったのは、ちょうど人生の岐路に立たされていた時だった。以降、24年間で684公演を数えた「おりん」。有馬さんはこの舞台のために膝を痛め、後に人工関節を入れる手術を受けた。このように体を酷使してまで演じ続けた「おりん」に対する有馬さんの思いは…。
ケア付きマンションでの〝楽しい生活〟
2007年から高齢者向けのケア付きマンションに住んでいる有馬さん。70歳を過ぎ“今後の暮らし方”を考えていた頃、知人から「引っ越すなら早い方がいい」と言われたという。実際に転居の準備を始めると、その知人の言葉がよく分かったと言うが…。
さらに、有馬さんがマンションの住人たちと作っている“自慢の庭”を取材。色とりどりの花に囲まれ、季節の移ろいを感じる楽しさを語る。
良寛さまに魅せられて・・・学びの日々
有馬さんが現在はまっているのが「良寛さま」。様々な文献を読み、自身で「良寛さまと貞心尼」という〝朗読〟と〝トーク〟を交えた〝お話〟を作り上げた。良寛さまの恋や生き方など、学べば学ぶほど面白いという。有馬さんが感じる良寛さまの魅力とは―
有馬 稲子(ありま いねこ)さん
大阪府池田市生まれ。幼年時代を釜山で過ごし、戦後引き揚げ。
1948年宝塚音楽学校に入学し、翌年、宝塚歌劇団で初舞台。1953年映画界に転身し、小津安二郎監督「東京暮色」、今井正監督「夜の鼓」、内田吐夢監督「浪花の恋の物語」、五所平之助監督「わが愛」など日本映画黄金時代の名作に出演、出演総数は70本を数える。
その後、舞台に情熱を傾け「奇跡の人」や「風と共に去りぬ」に出演。宇野重吉の劇団民藝にも参加。1980年にライフワークとなる「はなれ瞽女おりん」と出会い、24年間で684回の旅公演を重ねた。2008年の源氏物語千年紀には各地で「源氏物語」を朗読、人気を集めた。