SHISEIDO presents エコの作法
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2014年10月3日放送
「温故創新 日本の美を未来に繋ぐ人」 

ものをつくる「手」。手が作り出すのは古より受け継がれて来た日本の美。 多くの手から生まれた道具が私たちの衣食住を支えてきました。人の手が活かすのは自然の恵。豊かな水と緑に恵まれたこの国だったからこそ美しいものづくりは生まれたのかもしれません。色とりどりに染まる四季の風景は美しさのお手本。そこで暮らす人の手が生み出したものからは自然豊かな日本の姿が見えてきます。日本のものづくりとは人と自然の共同作業。今その心を受け継いで未来に繋ごうとしている若者たちがいます。彼らが気付いたのは「時代遅れ」と片付けられてきたものの中に自然を慈しみ、人を思いやる心が秘められていること。故きをたずね新しきを知り、彼らが創るのは美しい未来。日本の美を繋ぐ若者たちの姿に明日の美しい生き方を探ります。

山形県村山市。ここで農業を女性の視点で魅力ある職業にしたいと頑張っている人。高橋さん。5年前株式会社の形態で農業を行う山形ガールズ農場を立ち上げました。メンバーは20代から30代の女性ばかり。現在3ヘクタールの土地で数種類の野菜とお米を生産しています。その他にも農業体験のイベントや加工品の販売など女性ならではのアイディアを活かし、農と食に関わることなら何でも手がけています。仕事はそれぞれの持ち場が決まっています。今はほうれん草の出荷が忙しい時期。ここは貸し農園。オーナーに変わって彼女達が世話をする。名付けて「メイド付き農園」です。契約オーナーも時々やってきて野菜の世話をします。都会の人にも自分で野菜を育てる楽しさを味わってほしいと作った農園です。卒業後、実家に戻って農業を始めた高橋さん。しかし収入は安定せず壁にぶつかっていた時思いついたのが女性の感性を生かした農場を作ることでした。この田んぼのお米はガールズ農場の顔とも言える作物のひとつ。農薬や化学肥料のかわりに漢方薬を使う「漢方米」というお米。食の安全に対する関心の高まり…。さらに農業をやりたくても働く場所がない女性の受け皿になることも狙いでした。体力に劣る女性でも収穫量を上げられるようトラクターの運転も指導します。メンバーは農作業のときもお化粧しているとか。普通に就職先として農業を選べるようにするのが高橋さんの描く未来。女性の手で新しい農業を切り開くガールズ農場。菜穂子さんにとっての明日の美しい生き方とは。「自然を受け入れて共に生きるということかなと思います。農業は自然と共に太陽と呼吸を合わせてやっていく仕事。そういうところで私なりにできるアクションかなと思うんです。」

これまで男性の職場と思われていた世界にも女性は進出しています。柘植(つげ)さん。島根県で200年続く鍛冶工房で兄とともに一人前の鍛冶職人を目指しています。彼女が作るのはモダンな燭台。今現代的な感性を生かして暮らしにマッチした工芸品を生み出す女性達が登場し始めています。

愛媛県西予市。緑に囲まれた場所に工房を構えるのは佐藤さん。佐藤さんの前職はなんとモデル。かつてイギリスに留学し現地でモデルとして活動していました。帰国後内子町が始めた五十崎和紙の復興プロジェクトに出会い参加しました。佐藤さんの和紙はオリジナル。木枠に張るのは細いコットンの糸と和紙を細かく裂いて紐状にした紙縒り。この枠で和紙を漉くとあの美しい障子が生まれるのです。そして原料の楮にゼオライトという鉱物の粉を混ぜることで変化にとんだ和紙の表情をつくります。漉き上がった和紙にはゼオライトの機能による湿度調節や防臭効果もあるのだとか。漉いては干す作業を10回ほど繰り返すうちに少しずつ繊維が重なり濃淡のある和紙になっていくのです。佐藤さんの和紙はオーダーメイド。使われるシーンに合わせて紙のデザインも考えます。新しいことに挑戦する。けれどその新しさを支えるものはいつの時代も変わらないようです。
「和紙造りの魅力は手仕事。心を込めて手作業でひとつひとつ作ることが手に取った人に伝わる秘訣。長く使ってもらえるものは、作り手もそれだけ時間と手間をかけて作っていれば必ず伝わると思ってものづくりをやっている現代の感性を未来に伝えるのもやはり職人の手仕事。そこに込められた思いは伝統を未来に繋げます。

江戸の手仕事で忘れてはならないのが江戸小紋。一見無地に見えますがよくみると細かい柄が。小紋とは粋でいなせな江戸っ子気質が作り出した洗練された紋様です。元々は江戸時代、藩ごとに決められていた武士の裃の柄。庶民が用いるのは御法度でした。そんな大名の裃柄をなんとか真似したい…。江戸庶民は遊び心あふれる工夫で多くの柄を生み出しました。

東京・新宿区、創業90年を越える江戸小紋の老舗・廣瀬染工場。4代目の広瀬さん。家業を継ぐことを考えるようになった雄一さん。江戸小紋の染め付けはこの型紙を使って少しずつ柄をつけていく根気のいる作業。江戸小紋を代表する鮫小紋。柄が細かいほど貴重とされ、中には3センチ四方に1200もの点があるものも。この柄をつけていく重要な仕事が型付け。型紙の上から防染糊を置くことで糊の部分が染料に染まらず白い柄になります。一人前の職人になるには長い修行が必要。この後染めから仕上げまでにはまだ多くの行程があります。
糊が乾いたら今度は地の色を染めていきます。一反全てをムラなく染める。これもまた熟練の技を要する仕事です。職人の技と心で生まれた小紋に江戸の粋が宿ります。なるべく楽をしたいという時代にあえて「やせがまん」をする。そんな江戸の粋が世界に胸を張れる日本の文化を未来へと繋ぎます。 

江戸風鈴の老舗・篠原風鈴本舗。この家の4代目、由香利さん。三人姉妹の長女です。型を使わず風鈴の形を作る「宙吹き」という作業。江戸時代から変わらない技法です。こうして1つ1つ手作業で作られるためどれ1つとして同じものにはなりません。この切りっぱなしの口が江戸風鈴の音の決め手。音も全て違います。次は絵付け。伝統工芸と特別扱いしないでもっと普段の暮らしの中で使って欲しい。そう考える由香利さんは仲間の職人さんたちと新しい風鈴のデザインに挑戦しています。最近では子供達に江戸風鈴について語り伝える活動も始めました。作るだけでなくまず知ってもらうことも必要だと感じています。時代の空気を取り入れながら由香利さんは江戸の文化を未来に繋いでいます。

茶の湯や生け花など日本文化における「美」とは暮らしに美しさを添える「生活の中の美」。日本の「衣食住」。そこには自然を映し自然に寄り添う日本人の暮らし方があります。そんな「暮らしの美」を未来へと繋ぐ人々。

まずは「衣」の世界。日本の伝統的な着物。形はほとんど同じだけれどその柄や素材で違いを表現します。布を織る素材は自然の恵みをいただいたもの。土地の気候風土に合った生地はその土地の植物から生まれます。生地を染める染料は山の恵。先人は自然の中からさまざまな色をみつけだしました。自然の中に素材を求めその風景を布の上に再現しようとした先人たち。昔の人々は自然を纏って暮らしていたのです。

心を包み込むようなやさしい色合い。織物となる絹糸を染めるのは野山の草木たちです。植物の中には美しく時に思いもよらない色が秘められています。自然の色を糸に染め布に織り上げる「染織」という手仕事。染織家、藤井さん。
現在の住まいは八ヶ岳。周りの豊かな自然の中から色を集め布を織って日々過ごしています。同じ植物でも色の濃さやニュアンスはその植物が採れた場所や時期によって変わるそうです。この年、この場所だけに生まれた色。色彩豊かな自然の恵み。その恵みを頂き新たなものを生み出してきたのは人の手でした。手が伝えるのは自然の優しさと力強さ。そしてこの布を纏う人への思いが細い糸を、一枚のやさしい布へと変えてゆきます。一織り一織りに思いをこめて。
時代が変わっても変わらない自然と人の営み。自然の中に暮らし身の回りに溢れる色を染めて布に織る。そんな藤井さんの織物は「纏う」ということが自然と一つになることだと思い出させてくれるのです。

去年、世界遺産に登録された和食。四季を映した繊細な美しさと自然の力を利用しておいしさを育む知恵。そんな日本の食文化を受け継ぐ人がいます。

日本独特のおいしさを育む「麹」。味噌も醤油もこの「麹」がなくては作ることはできません。それは微生物の力を借りた発酵という魔法。麹を使ったもので最も古いと言われるのが日本酒です。それは人と微生物の共同作業。自然の力を透き通った一滴に変える若い蔵人達がいます。

千葉県・利根川のほとり、香取郡。創業330年を越える酒蔵、寺田本家。蔵で働くのは6人の若き蔵人たち。みんなこの蔵の酒造りにひかれて全国から集まってきました。彼らがここにひきよせられたのは昔ながらのこだわった酒造り。麹の元になる種麹も自分たちで育てた無農薬の自然米を使い稲麹を育てています。失われた日本古来の酒造りを今に蘇らせる。小さな命の息吹を全身で感じて酒を作ります。目に見えない微生物たちがもつ発酵という力。自然の力は時に人の有り様をも変えてゆく。蔵人たちが未来に繋ぐのはその"こころ"です。

季節を映す日本の食文化でもう1つ忘れてはならないものがあります。「和菓子」です。茶の文化と共に育まれた和菓子には季節を愛でる日本の心が秘められています。そんな和菓子が東京の若者達によって生まれ変わっています。稲葉さんと浅野さんによる「wagashi—asobi」というユニットです。元々大手和菓子店に勤務していた2人は当時よく知り合いに頼まれ、茶会やイベントのため個性的な和菓子を趣味で作っていました。するとその自由な発想がクチコミで評判になり2人は3年前に独立。アトリエを構えました。現在お店で販売しているのはハーブの落雁とドライフルーツの羊羹のみ。けれどこのお菓子が今大人気です。イチゴとイチジクのドライフルーツ、それにクルミを入れた黒砂糖の羊羹。パンに合う和菓子を…というお客さんの要望から生まれたものだとか。
老舗和菓子店で培った技術を生かし、今の暮らしにあった和菓子を模索する2人。実はオーダーでその人のための世界でたった一つのお菓子を作っています。
元々は茶席で亭主の趣向に合わせて作られる和菓子。その本来の姿を継承したいと考えました。一人のために全ての技と思いを込める。そんな和菓子の伝統を繋ぎます。

「食」といえば「器」。土をこね金属をたたき、先人は身の回りのさまざまな材料を使って美しい器を作ってきました。そんな器の中で日本ならではのものといえばやはり…。輪島で活動する漆職人、赤木さん。暮らしの中にもっと漆器をとりいれることを勧めています。そんな赤木さんの器はあきのこないシンプルなデザイン。それにとても丈夫。輪島塗の伝統的な作り方をかたくなに守   っているからです。その漆は器だけでなくもっと大きなものを守っているといいます。 「漆というのは人々の日常を護るもの。震災後東北で個展をしたが日常生活が日常ではなくなったとき日常に戻したり、不安になった時、やすらぎを与えてくれるものと感じた」

日本の風景に融け込む家が作りたい。そんな思いから伝統建築の世界に足を踏み入れた建築家。田野倉さん。大手ゼネコンに勤務した後自分の好きな建築に携わりたいと独立。大学時代には能楽講演を主催し新しい能舞台を紹介する活動もやっていたとか。現在、社寺や茶室から住宅まで新築だけでなく移築や改修も手がけています。そんな田野倉さんがこだわるのは日本建築の中でも「数寄屋」と言われるもの。数寄屋とは一言で言えばお茶室の要素を取り入れ主の好みを反映した家のこと。

この日はお客さんとの打ち合わせ。実家にある古い茶室を新しく建てる家に移築したいのだとか。茶室はその作りや材料全てに亭主の好みが表現されています。古材の利用は新しい建物に歴史を吹き込みます。数寄屋とは住む人そのもの。家の歴史から主の趣味や暮らし方まで全てを理解して家という形にするのが数寄屋を建てる建築家の仕事。蔵に残された古い建具なども使えるものは使うことになりました。古いものをあえて組み込むことで新しい家をより洗練されたものにする逆転の発想。それこそが数寄者の証しです。

別の日。訪れたのは3年前に完成したお宅。主は「天才柳沢教授の生活」で知られる漫画家の山下和美さん。数寄屋を建てるまでの顛末を描いたエッセイ漫画の中に登場する建築家は、実は田野倉さんです。家ができ上がった後も時々訪ねては家の状態をチェックします。家とその主人とは一生のつきあい。数寄屋は年を経る程にその良さを増します。移り変わる家の表情を眺めていると日々新しい数寄屋の魅力を発見できるとか。主人の好みを取り入れまるで絵を描くように作られる茶室は作る人の「数寄」が表れる空間。山下さんはここで一人漫画の構想を練ることもあるそうです。数寄屋という家は私たちが自然と共にあるということを思い出させてくれます。誰もが木と紙の家に住んでいた頃「住む」ということは自然と対話することでした。そこにいるだけで木の息づかいが聞こえ自然の美しさに気づく。その心は田野倉さんの作る数寄屋にも受け継がれています。

古きをたずね、新しきを知り。美しい未来を創ろうとしている若者達。その挑戦はものづくりだけに留まりません。現代の暮らしのあり方に疑問を持ち、彼らが挑戦しているのは人が生きるということの原点に立ち返ってみること…。

本土から遠く海に隔てられた離島、隠岐。大地の歴史を感じさせるこの島は島国日本の縮図のような場所。一見不便な環境ですが海と大地の豊かな恵みはその不便さを補って余りあるもの。隠岐の西ノ島にある海士町にはこんなキャッチフレーズがあります。
「ないものはない」
一見開き直ったような言葉ですがここには深い意味が在りました。

この西ノ島にIターンでやってきた青年がいます。宮崎さん。群馬県出身で一橋大学を卒業した後この島にやってきて8年半になります。そもそも町の協力でナマコの加工品会社を立ち上げるためにやって来ました。しかしそれも今では 彼の仕事の一つにしかすぎません。この時期もっとも忙しいのは収穫した稲の天日干し。太陽の光と風でお米本来の旨味を引き出します。次は畑仕事。なんと宮崎さんは畳作りの仕事までこなしています。この他にも漁業から民宿の手伝いまでその日に必要な仕事を行います。島という環境だからこそ全てを学べる。それを実践し始めたのはある出会いがきっかけでした。宮崎さんが「じっちゃん」と慕う宇野さんです。家業の畳屋を営みながら民宿や釣り船を経営。宿で出すお米や野菜は自分で作り魚も自ら漁に出ます。やれることは全てやる島暮らしの達人。そんな姿に感激した宮崎さんは宇野さんに住み込みで働きたいと頼み込んだのです。夕食は島の暮らしを噛み締める時間。食卓に並ぶ全てがこの島で採れたもの。ほとんどが自分たちの仕事の成果です。今では結婚もした宮崎さん。この島でじっちゃんから教わったものとは…
「海、山、田んぼ、畑が揃ってれば、今まで自分が作って来たものが全部なくなったとしても、また一からやり直せるんだという話を聞いて、そんな風に言えたら良いなと思って、そういう生活力を身につけたいと思って来ました。」
たとえ全てを失っても島なら一からやり直せる。「ないものはない」けれど生きていくのに必要なものは全てここにある。

霊峰富士。世界遺産にも登録されたこの山は古よりずっと私達日本人の命の源でもありました。またの名を「水の山」とも言う富士山は湧き水に恵まれ、周辺には豊かな自然が溢れています。そんな富士山の麓で暮らす若者がいます。

山麓に広がる人工林の樹林帯。そこで出会った井戸さん。顧みられることなく 放置されている林で間伐を行っていました。富士山の森や洞窟をガイドし自然の偉大さと美しさを伝えている井戸さん。井戸さんは森を維持するために木を間伐し冬場に使う薪ストーブの燃料として使っています。間伐材はこうした生活用品の素材にも。間伐材を使うことで森を護る。地道な活動に共感する人々の輪は少しずつ広がっています。荒れた森のもう1つの問題は野生動物の餌不足で人里の畑が荒され始めていること。井戸さんは増えすぎた野生動物の駆除にも力を傾けています。大切なのは命を無駄にしないコト。富士山麓に移り住んできたのは十数年前。今では子供も生まれ家族3人暮らしです。有機農法で育てた野菜たち。出来る限りの自給自足が信条です。この日のキッチンでは狩猟で手にしたシカの肉が食材の主役でした。感謝を込めて命を頂く。富士山の恵みとともにある幸福を一家は今日も噛みしめます。井戸さんは自らの活動を「森のタネを撒いている」と表現します。そのタネこそが美しい未来への希望。

日本の物作りとは自然と1つになること。そのことの大切さに気付き彼らは一歩を踏み出しました。エコの作法。それは日本に息づく自然への想い。それは世界へ伝えたい優しい心づかい。さあ、明日の美しい生き方へ…

農業生産法人 国立ファーム株式会社 山形ガールズ農場

〒995-0203 
山形県村山市大字大槇592番地

鍛冶工房弘光

〒692-0623
島根県安来市広瀬町布部1168-8
TEL:0854-36-0026
FAX:0854-36-0037

株式会社りくう

URL:http://www.requ.jp

廣瀬染工場

住所:東京都新宿区中落合4-32-5
URL:http://komonhirose.co.jp/

有限会社 篠原風鈴本舗

〒133-0065
東京都江戸川区南篠崎町4-22-5
TEL:03-3670-2512
FAX:03-3677-2552

染織家 清水繭子さん

URL:http://mayukoshimizu.jp

寺田本家

千葉県香取郡神崎町神崎本宿1964
TEL:0478-72-2221
URL:http://www.teradahonke.co.jp/

wagashi asobi TOKYO

〒145-0064
東京都大田区上池台1-31-1-101
TEL:03-3748-3539
URL:http://wagashi-asobi.com/

漆職人(赤木明登)

URL:http://www.nurimono.net/

数寄屋建築

URL:https://www.wiizl.com/aatt.jp