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2014年6月6日放送
2時間スペシャル「焦がれる×熊野古道」
2004年世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」。今年で登録十年目を迎えました。歩くこと。ただひたすら歩き全身で何かを感じとること。聖地に焦がれた先人たちにならって熊野古道へ。そこで巡り会うのはもう1人のあなたかも知れません。
熊野古道。巡礼の道として登録された世界遺産はたった2つだけです。和歌山を中心に、奈良、三重、大阪にまで張り巡らされた参詣道は紀伊の霊場を結んでいます。平安時代、皇族や貴族がこぞって歩いた熊野古道は中辺路。江戸時代、文人墨客に愛された海辺を経由するルート大辺路。高野山から熊野にいたる最短コース小辺路は険しい峰々を越えてゆく難路です。かつて修験者たちの修行の場でもあった大峯奥駆道。そして伊勢参詣の人々が熊野三山に足をのばすときの伊勢路。今回は3人の旅人が紀伊山地の霊場と熊野古道をゆきます。
真言密教の聖地、高野山。古の参道をゆくのはイタリア生まれのパンツェッタ・ジローラモさん。山道を登り詰めると忽然と姿を現す大門。山上の宗教都市、高野山の入り口です。門を抜ければそこは聖地。山そのものが1つの寺であるとする高野山には大小合わせて117の寺があります。平安時代あたかも蓮の花のような聖地を切り拓いたのは弘法大師空海です。遣唐使の一員として中国に渡った空海は真言密教の教えを日本に持ち帰りました。帰国から十年。高野山を根本道場と定めます。目指したのは壇上伽藍です。昭和12年に再建された根本大塔には真言密教の教えをカタチにした立体曼荼羅が収められています。中心には宇宙の真理を現す大日如来。立体曼荼羅は命ある全てのものはみな清らかであり人間も修行を積めば宇宙と一体になれることを表現しているそうです。根本大塔と向き合う西塔は陰陽の一対をなしています。特別公開されていたその内部、天井には図案化された無数の花が描かれていました。
117の寺院が点在する高野山。ジローラモさんが訪ねたのは総本山金剛峯寺です。大広間の襖には江戸初期の絵師、斉藤等室の作と云われる鶴の姿…。そして襖の奥にお大師さまが祀られていました。空海が説いた真言密教とはなんなのか。少しでもその教えに触れたいとジローラモさんは宿坊を探しました。選んだのは空海の母親にもゆかりの三宝院。宿坊では写経や瞑想といった普段はなかなか難しい体験が出来ます。本堂には北の京都に顔を向けたお大師さまがいらっしゃいました。北面大師、都人の願いを聞き届けようとしているのでしょう。真言密教では梵字と呼ばれるサンスクリット語の1文字が仏を表します。例えば大日如来を表す「あ」…「あ」の文字に向き合って瞑想し、己を仏・無限の宇宙と一体化させる修業、阿自観です。宿坊の楽しみは精進料理です。冬は-10度にもなる高野山ではその昔、精進料理の材料となる野菜を手に入れる事も難しかったそうです。けれどお大師さまへの思いが目にも鮮やかな料理たちを支えてきました。高野山の麓、高野口。麓の人々はカゴに野菜を入れて山の上に届けていたのです。今でも旬の野菜を携えて山を登るそうです。山上の宗教都市は人々の信心を糧に成り立ってきました。
三宝院の朝。不動明王が見下ろす本堂では煩悩を焼き尽くす護摩が焚かれます。高野山に詣でれば前世に犯してきた罪さえも消え去ってしまうとか。一の橋の先には高野山・奥の院。壇上伽藍と並ぶ山内の二大聖地の1つです。参道の両脇には大小20万基を越える石塔が並んでいます。高野山は明治の初めまで女人禁制でしたがここに女性を葬ることは許されていました。庶民から偉人まで身分など問われなかったのです。樹齢数百年を数える杉木立は空海の時代にはまだなかったと云います。全ては参詣者たちの寄進でした。参道が尽きる先に空海が眠る御廟があります。弘法大師を慕う人々はその存在を身近に感じ続けています。お大師さまは世の安寧と衆生の幸福を永遠の瞑想の中で祈り続けているのだと。
毎朝6時と10時半の2回欠かすことなく御廟に運ばれているのはお大師さまの食事です。生身供と呼ばれる食事の内容はその日によって様々。私たちが口にしているモノと変わらず旬のフルーツなども添えられると云います。弘法大師空海は今も「生きて」…いるのです。特別にお供えの撮影が許されました。僧たちは御廟で目にするお大師さまの様子を決して他言することはありません。1200年もの間繰り返されてきた高野山の営みのひとつです。やがて燈籠堂には厳かな読経の声が響き始めました。高野山は弘法大師そのもの。真言密教の聖地から深山を結ぶ熊野古道を辿ればその先にもう1つの聖地が広がっています。
4月。奈良県、吉野山。日本有数の桜の名所です。麓から山上へと3週間あまりかけて順に咲き誇ってゆく様子はまさに息を呑む美しさ。平安時代、吉野の地では修験道が隆盛を極めました。人々が寄進を重ねてきたご神木の桜が圧巻の名所を生んだのです。5月、緑一色になった山で桜の世話をする桜守に出会いました。紺谷さん80歳。一杉さんと共に毎日のように作業を続けています。枝の途中に膨らんだヤドリギは木の栄養を吸い取り弱らせてしまう寄生植物です。山桜の寿命は100年ほど。でも最近は菌に冒されて立ち枯れる桜もあるそうです。伐採しておかないと元気な桜を傷つけかねません。絶景を支える人知れぬ努力…。
吉野山の朝。魂を揺さぶるホラ貝が鳴り渡るのは修験道の総本山、金峯山寺です。秘仏本尊・金剛蔵王権現…この時は運良くご開帳されていました。怒りに満ちた形相は悪業に走ろうとする人の心を厳しく戒めるためと云われています。修験道は太古からの自然信仰と新たに流入した仏教が融合したもの。空海が打ち立てた真言密教とはまた別の信仰の血脈です。吉野の旅人はアメリカ生まれのダニエル・カールさん。ダニエルさんが挑んだのは吉野山から熊野三山へと続く修行の道、大峰奥駆道です。今から1300年前修験道の開祖、役行者が開いたと云われる山岳修行の険しい道のり。目指したのは道中一番の聖地、山上ヶ岳の大峯山寺です。5月2日峰入りと呼ばれる入山を前に金峯山寺で安全祈願。翌日の5月3日は山開きにあたる戸開け式。その儀式を見届けるのもダニエルさんの目的でした。いよいよ出発です。大峯山寺まではおよそ5キロ、高低差およそ600m。やがて急斜面の先に大峰奥駆道が見えてきました。五感を研ぎ澄ませ山の霊力を身につける過酷な修行はここから始まります。
「懺悔懺悔、六根清浄…」険しいのぼり坂では念仏を唱えながら…。六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは人間が供えている五感に心を加え全てを清めてゆくことを指します。大峯奥駆道をゆくと先々で出会うのは自然の厳しさです。標高1400mを越え尾根道にでると一気に視界が開けます。それまでの疲れがふと癒される一瞬です。峰入りした修験者たちはホラ貝を吹き鳴らすことで互いの存在を知らせ合ったそうです。ホラ貝の旋律には様々な意味が込められていたとか。出発から2時間あまり。行く手には巨大な岩場が現れました。体力を奪われる難所です。高さ25mほどの岩場をなんとか登り切りました。現代の修験者を力づけてくれるのは途中にある洞辻茶屋。まずは修験道の開祖、役行者に祈りを捧げます。こちらの茶屋の名物がいまや希少価値の高い吉野の本葛を使った葛湯。ほのかな甘みでさらなる難所への気力が湧いてきます。大峰奥駆道の難所にはところどころ祠が設けられ霊場となっていました。目の前に垂直に切り立った崖…ここを越えて行かなければなりません。勝手な判断は命に関わります。先達の言葉に自分を委ねることもまた修行のウチです。頂までは後一歩…。
標高1650m。ダニエルさんは大峯奥駆道最大の難所「西ののぞき」に立ちました。先達の二人が鎖を身体に巻き介添えの支度を整えます。肉体をなげうつコトで深い感動を手にしました。出発から5時間。今宵の宿、山上ヶ岳の山頂にある宿坊に辿り着きました。大峯奥駆修行の1日が終わり明日は山開きを告げる大峯山寺の戸開け式です。
5月3日午前2時。寺を支えてきた「役講」と呼ばれる人々が各地から集まると秘めやかな儀式が始まりました。去年寺を守った当番の役講から今年の当番へ鍵が引き継がれます。高々と掲げられた鍵は石段を上がり本堂前の広場を練り歩きます。本堂の扉が開かれると参拝者たちは一斉に堂内へ…。本尊蔵王権現と秘仏である秘密の行者尊と対面を果たすのです。本堂の脇では護摩供養が行われ国家安寧と五穀豊穣などが祈念されます。こうして大峯山寺は9月23日の戸閉め式まで4ヶ月あまり修行の人々を受け入れることになります。ダニエルさんたちは標高1719m…山上ヶ岳の頂上に立ちました。大峰奥駆道はさらに南へと続きます。吉野から遠く熊野三山まで全長170キロ。道半ばで倒れる先人も少なくなかったと云います。けれど己の肉体を極限まで酷使して歩き抜くことは修験者の大いなる憧れだったのです。
平安時代半ば修験道が盛んになるにつれ聖地としての熊野は脚光を浴び始めました。人々が目指したのは熊野本宮大社、熊野速玉大社。そして熊野那智大社。それら三つの霊場、熊野三山へ向かう巡礼の道が熊野古道です。
熊野古道を歩くのはイラン出身のサヘル・ローズさん。奈良、和歌山、三重にまたがる熊野古道…熊野三山を目指すルートは幾つもあります。サヘルさんは現在の和歌山県田辺市に始まる中辺路を選びました。参詣道には王子と呼ばれる神社が点在し熊野九十九王子と称されています。出発は滝尻王子から。社の裏手からはもう神域。熊野古道に足を踏み入れました。平安時代には皇族や貴族たちも辿った道のりです。苦しければ苦しいだけご利益も増す…熊野詣でには古くからそんな言い伝えがあるそうです。二時間ほどで森を抜けると眺めの良い場所に出ました。中辺路町高原地区。高原は宿場町の面影をとどめています。石畳が敷かれた道をひたすら歩きます。
鳥居を抜けるとそびえ立つ杉の巨木に圧倒されます。この神社の森だけで樹齢800年を越える杉の木が10本ほど…江戸時代までは40本以上の大木が並ぶ雄大な鎮守の森が広がっていたそうです。和歌山に生まれ育った南方熊楠は熊野の森を研究した世界的博物学者です。継桜王子の森は熊楠の自然保護運動で守られたと云います。明治政府が発令した神社の統廃合政策に熊楠は抗議しました。鎮守の森が消えれば熊野全体の植生が脅かされると危惧したのです。熊楠は全てが緊密に関わり合う生態系の重要さにいち早く気づいていました。気の遠くなるような歳月に築き上げられた森を人間の都合で破壊することなどあってはならない…そう叫んだのです。
継桜王子を後にして黙々と歩き続け峠を三つ越えると…やがて発心門王子の鳥居が見えてきました。熊野三山の1つ熊野本宮大社まではあと7キロです。杉林を越えて出会ったのは全ての熊野古道を何度も歩いてきたという坂本さん…語り部の一人です。ご一緒したのは社などない伏拝王子。そこからは初めて熊野本宮大社の社殿が見えたと言います。ようやく目にしたありがたさ。伏して拝む気持ちも判ります。本宮大社までもう一息です。
熊野古道の1つ中辺路を歩きついに熊野本宮大社まで到達しました。社殿は石段を登った先に広がります。紀伊の森の奥深く、日本を代表する霊場には鳥の声ばかりがこだましていました。熊野の語源は奥まった場所を意味する「隈」…つまり「地の果て」とも言います。けれど人はなぜ難行苦行を厭わずにはるばるこの地を目指したのでしょう。先人たちはここ熊野を生きながら体験出来る「あの世」だと考えました。
本宮大社の藤井さんは言います。そもそも本宮大社は今の場所から少し離れた場所にありました。熊野川と音無川に挟まれた中州。本宮大社は島のように周囲から隔絶されていました。人々は足元を水に洗われ清められた上で厳かな社殿に参詣していたのです。それが大洪水で流されたのは明治時代のことでした。大齋原(おおゆのはら)と呼ばれたその地で名残を伝える大きな鳥居が風に吹かれていました。大齋原に詣でた人々は熊野川を下り次の聖地、速玉大社に向かったと云います。サヘルさんも熊野古道唯一の川の道をゆきます。
忘れられていた川の参詣道は世界遺産登録の翌年に復活しました。次々現れる奇岩は計り知れない大自然の力を物語っています。熊野速玉大社は熊野川の河口に位置しています。「玉のように光る生命力」を意味する速玉…。熊野三山の1つはまたの名を新宮(にいみや)といいます。それが現在の和歌山県新宮市の由来となりました。新宮市には熊野の神々が最初に降臨したと云われる場所があります。神倉山。中腹に建つ神倉神社は古来熊野三神を祀り元宮と呼ばれていました。その神々を移し祭神の1つとした速玉大社はだから新宮(にいみや)。源頼朝が寄進したと云われる538段の石段を登り切れば神倉神社の社です。土地の方言でヒキガエルを表すゴトビキ岩。この巨大な岩が神社のご神体です。自然の中に神を見いだした先人たち…。間近に見下ろす熊野灘もまた神話の舞台です。日本書紀によれば都にふさわしい場所を求めた後の神武天皇はこの海に上陸しゴトビキ岩に登ってあたりを見回したのだとか。豊かな物語に思いを馳せながら熊野那智大社を目指します。熊野古道、中辺路を熊野那智大社へ。
サヘルさんは那智山のふもと大門坂まで辿り着きました。踏みしめる一歩一歩にチカラが入ります。目指す霊場はもうすぐそこ…。ようやく熊野那智大社に到着しました。ご神体は那智の大滝です。落差133m。岸壁を流れ落ちる白い滝が圧倒的な存在感で迫ってきます。巡礼の人々は長く苦しかった旅の疲れも忘れふりかかるしぶきを全身で受け止めたのでしょう。山中を駆け抜けてくる水はあらゆる命を育む源です。岸壁の樹木を潤しこの大地に生きる生物たちを養い続ける水は、絶壁に砕けて神々しく輝いていました。激しくも美しいその姿は私たちを深い感動に誘います。那智の大滝は広大な那智原始林を背負っていました。この森も世界遺産の一部です。豊かな流れは小さな滝を経て大滝へと続いています。神々に愛され命のさざめきに満ちる熊野の大地…。だからこそ人は熊野を目指し体内に眠る原初の自然を揺り起こそうとしてきたのかも知れません。
紀伊山地の霊場と参詣道は今年世界遺産登録10周年を迎えます。様々な信仰を縦糸に豊穣な自然を横糸に紡がれてきた鮮やかなタペストリー…。巡礼の旅は決して容易ではありません。でも…歩いて、歩いて、歩き抜いた先には、きっと新しい自分が…いるはずです。
高野山・壇上伽藍
〒648-0211 |
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高野山・三宝院
〒648-0211 |
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金峯山寺
〒639-3115 |
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熊野川(熊野川総合開発センター)
〒647-1211 |
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熊野本宮大社
〒641-1731 |
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神倉神社
〒647-0044 |
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熊野那智大社
〒649-5301 |
パンツェッタ・ジローラモさん
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ダニエル・カールさん
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サヘル・ローズさん
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