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2013年1月11日・25日
「逢う×新しいこころに出逢う ~伊勢神宮・2013~」
去年、12月31日夜、神宮の表参道で、篝火がたかれていました。
燃やしていたのは神宮の森に育った木々です。
神職が、昔ながらのやり方で熾した神聖な火が移され、一年の終わりを照らす炎となるのです。
不思議な光景を目にしました。
なんとお餅を火の中へ!
土地の人たちは、この火で焼いたお餅を食べて、明くる年の無病息を願います。網の作りも、工夫を凝らして様々でした。
伊勢神宮の門前町の大晦日。
土地の田舎料理が自慢の「すし久」では吉例の朝がゆ作りに追われていました。
新春を寿ぐ一膳には、大納言が添えられます。
毎月ついたちは早朝5時から、この朝がゆを楽しめますが大晦日だけは特別に夜の11時から…。これを頂きたくて、遠方から足を運ぶ方も多いそうです。
温かいおかゆで暮れて行く1年…伊勢の風物詩のひとつでしょう。
やがて、おかげ横町の一画には、神宮参拝を控えた、多くの人々が集まり、みんなが声を合わせて、新年へのカウントダウンが始まりました。
空には月が冴え、風もおだやかな夜でした。
およそ2千年前、アマテラスオオミカミを伊勢の地に導いたと云われる、ヤマトヒメノミコト…。
神宮には、垂仁天皇の皇女、ヤマトヒメをお祀りしたお社があります。
8年前から伊勢神宮にレンズを向け続けるひとりの女性カメラマンに出会いました。
稲田美織さん。
神宮125社の中でもとりわけお気に入りのお宮があるということで案内してもらいました。
着いた場所は、瀧原宮。
周囲の環境が内宮とよく似ているため、 内宮の遙宮とも呼ばれています。
そこは、原始の姿を今にとどめる森にしっかりと抱かれた場所でした。
ヤマトヒメノミコトは、はじめ、この地にお宮を建て、アマテラスオオミカミをお祀りしました。けれど、海に遠い立地では食材の調達が難しく、結局いま内宮があるところへ移されたと云います。
稲田さんは、伊勢をアマテラスオオミカミご鎮座の地と定めた、ヤマトヒメノミコトに共感を寄せます。
大和から近江、さらに尾張へ…女性には、さぞや辛い旅だったはず。
遠い昔、道なき道を分け入って、聖地を切り開いた女性…。
その苦難と果敢さに胸を打たれるのだそうです。
思えば、アマテラスオオミカミも、トヨウケノオオミカミもともに女神さまと云われています。聖地を包み込む、えもいわれない優しさは、そんなところに由来しているのかも…。
2013年、元旦…
東の空を見つめて、夜明けを待っている人たちがいました。
伊勢神宮の奥の院とも云われる、朝熊山の山頂は、古くから、初日の出礼拝の名所となっています。
峰々の彼方には、波静かな伊勢湾も望めました。
やがて空が朱色に染まり、日の出が近づいてきます。
太陽神、アマテラスオオミカミをお祀りする伊勢神宮が今年最初の光に満たされて行く瞬間…。
低くたなびく朝焼けの雲さえ、どこか神々しさを帯びて見えました。
あらゆる命を育む太陽がゆっくりと顔を出します。
地球創世の昔から、不変の確かさをもって繰り返されてきた、大自然の営みです。
ひえびえと固かった真冬の空気が、ほんの少しずつゆるみ始めました。
身体中の細胞がさざめき出す感じ…。
悩みや惑いが溶けていって、心まで澄み渡ってゆきます。
それはきっと、信仰の原初のカタチ…。
圧倒的なまぶしさが教えてくれたのは、人間も、自然の一部だということ…。
永遠の巡りを巡り続ける、大いなる命の一部だということ…。
身も心も生まれ変わったような気分です。
伊勢神宮を訪ねてそんな清々しさに出逢うことが…出来ました。