SHISEIDO presents エコの作法
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2011年8月12日・26日放送 「巡る×水(後編)」

私たちの暮らしに、なくてはならないモノ・・・
命を育み、喉を潤し、時には、心さえ和ませてくれる、水・・・
 
人の営みと水の流れは遠い遠い昔から、分かちがたく結ばれてきました。
大都会、東京の水がどこからやってくるかご存知ですか。
 
都心から西へ向かえば上水道の名残を見ることができます。
さらに遡ると、豊かな水源に行き当たりました。
沸き上がり、ほとばしり、そして、めぐる・・・街を支える、水物語・・・
 
東京都西多摩郡、奥多摩町・・・
 
首都、東京を潤す水源の一つがここにあります。
都心から電車を乗り継いで2時間あまり。
透き通った渓流は、奥秩父や山梨の山々から注いでいます。
 
訪れる人々の目を楽しませてくれる、大小様々な滝・・・
豊かな起伏を駆け下りる水は、キリリと冷えて清冽です。
地元の人々はこの恵みを生活に活かしています。
奥多摩の暮らしは豊かな水とともにあります。
 
ここ奥多摩は静岡、長野と並ぶ、三大わさび産地の一つです。
斜面に作られたわさび田には、たえず清らかなわき水が流れていました。
一年を通して温度が殆ど変らないわき水・・・
馥郁とした香りが自慢のわさびはこの恵まれた環境で育ちます。
 
わさび農家を営む、ホシナ・マサヒロさん・・・
出荷までは、およそ1年半。
4月から12月までが収穫期です。
濁りひとつないわき水の恵み・・・
与えられた自然環境を、上手に利用してきたわさび作りに、先人たちの深い知恵が伺えます。
 
清流を抱く山里の暮らし・・・
絶品のわさびが脇役ならば、主役の食材もまた、美しい流れの賜でした。
 
老舗のそば処・・・
まるまると太った奥多摩のヤマメには川魚特有の泥臭さがありません。
だからこそ、塩焼きではなくお刺身で頂くことが出来るのです。
殺菌力を併せ持つわさびをそえて・・・
口に含めば舌の上で、水の恵みが溶け合います。
 
それにしても、奥多摩の地に、なぜこれほど豊かな水があるのでしょう。
答えは森にありました。
山肌を覆い尽くす樹木たちは、雨水を逃がさずに、蓄える力を持っているのです。
 
奥多摩には、「巨樹」が数多くあります。
氷川の三本杉・・・その名の通り、地上近くで幹は三つに枝分かれし、天をさすように伸びていました。
ちなみに高さは杉の中で日本一・・・50メートルを超えています。
実は東京は、日本で最も巨樹が多いコトで知られています。
とりわけ奥多摩は、多彩な巨樹の宝庫でした。
トチノキやミズナラ、カシなど・・・
樹齢500年を数えるモノも少なくありません。
 
山道で出会ったのは平岡忠夫さん。
かつて水道局に勤めていた平岡さんは、リタイアした後、日本中の巨樹を描き続けています。
 
平岡さんによれば、年輪を重ねてきた巨大な老木こそ、環境の状態を計るバロメーターだとか・・・
 
森が健康であれば、水もまた、健康を保つことが出来る・・・
東京の大都会を支える奥多摩の水。
その恵みは森の健やかさと背中合わせなのです。
 
奥多摩の山ふところからあふれ出た水は次第に大きな流れを形成し、東へと向かいます。
 
これが飲み水として人々の生活を安定的に支えるようになったのは江戸時代のことでした。
 
そこには、ある兄弟の奮闘があったのです。
多摩川の水を一端せき止める、羽村の水門・・・
世に言う玉川上水は、ここから江戸市中を目指して創り上げられました。
羽村と江戸の高低差は、わずか100メートル。
水路を開くまでには、想像を超える困難があったとか。
上水道の建設を任された兄弟は、しかし1年足らずで、難事業を全うします。
当時の玉川上水は羽村から、現在の四谷までを結んでいました。
兄弟はその功績を認められ、玉川という姓を授けられたそうです。
現在は、飲料水としての使命を終えましたが、玉川上水は、涼やかな流れを今に遺しています。
 
江戸時代、市中を潤した上水道は玉川上水と合わせて六つありました。
中でも最も古いものが、1590年に開設された神田上水です。
かつて、良質なわき水で知られ、地名の由来にもなった、お茶の水・・・
JR御茶ノ水駅のすぐ脇を流れる神田川は、もとはといえば神田上水だったのです。
その流れを遡ると、現在の世田谷、井の頭公園に至ります。
神田上水の水源は、平成の今も、井の頭公園から、ふつふつと沸き続けていました。
神田上水が役割を終えたのは明治34年。
・・・近代的な上水道は、やがて地中の水路を通じて、都市に供給されるようになりました。
 
2007年、東京港区に誕生した新名所、都会のオアシスを思わせる、東京ミッドタウン・・・
ここには、自然の営みにならった、最新の技術が、随所に導入されています。
行き交う人々を癒す、さわやかな流水。
施設で用いられる水の多くは、大自然をめぐる様に循環利用されているのです。
 
海から蒸発した水は、雨や雪となって地表に降り注ぎます。
そして、大地を潤し、川や地下を経て再び海へと還りめぐり続けます。
 
東京ミッドタウンのコンセプトは自然との共生だといいます。
喧噪を忘れさせてくれる空間デザインもさることながら、施設全体に、自然の営みに学んだ、エコロジカルな工夫が施されているのです。
敷地面積10ヘクタール。
意外なことに、その4割が緑に覆われています。
たくさんの植物を維持するのは容易ではないハズ・・・
水の循環・・・広大な緑地の維持に必要な水は年間およそ1万トン。
・・・これは120人が1年間に使う水の量に相当します。
東京ミッドタウンではその膨大な水の殆どを、雨水の再利用でまかなっているのです。
 
自然界をめぐる水のように水を循環利用する近代的な都市。
そこでは、ビルと街全体がまるで小さな自然のように息づいてているのです。
 
17年間にわたり、水のオブジェを作り続ける、アーティストがいます。
七野大一さん。現在までに120作以上も水を実際に使った作品を制作してきました。
「肖像」と名付けられた作品。
鏡の上に水を張り、そこにしたたり落ちる一滴の波紋を、光の反射で映し出します。
「入魂」と題された作品では、透明なアクリル板の上に、徐々に広がってゆく水の姿を見つめることが出来ます。
 
「ひもろぎ」は木箱の隙間から水の雫をのぞき込む作品です。
薄闇のなかで、ゆっくりとふくらんでゆく水。
落ちる刹那に雫が放つ一瞬の光は様々なイマジネーションを誘います。
 
奥多摩で、昔ながらの水車に出会いました。
近隣のお年寄りたちは、散歩がてら、この水車の前で、しばし時を過ごすのが日課です。
かつて脱穀や製粉などの動力源だった水車・・・
それがいま、人々を惹きつけています。
ひょっとすると、これもまた心を和ませるオブジェかも。
 
渓流の脇に、迷宮への扉を開けている、日原鍾乳洞(にっぱらしょうにゅうどう)・・・
大昔、海底だった場所に、珊瑚の化石などが降り積もり、石灰質となった地層が、途方もない年月をかけて隆起した岩山にうまれます。
地上から染み込んだ雨水が石灰質をゆっくりと溶かして、岩山に空洞を作るのです。
内部の温度は、夏も冬も、ほぼ11度・・・
 
玉川上水の小金井あたりに、桜並木が整えられたのは江戸時代です。
当時、桜の花びらは水を清める・・・という言い伝えがありました。
先人たちは水への感謝を、忘れてはいなかったのです。
 
水、巡る・・・
この星の隅々に流れゆく水を、いかに守り、いかに使うか・・・
決して大げさでなく、私たちの未来は、そこにかかっています。
悠久の時を超え、命を支え続ける水の巡りを大切に、守り抜くことに・・・

水のアーティスト 七野大一

http://www.eonet.ne.jp/~shichino/

東京ミッドタウン


住所:東京都港区赤坂9-7-1
電話:03-3475-3100(代表)

ホテルニューオータニ


住所:東京都千代田区紀尾井町4-1
電話:03-3265-1111(代表)

小石川後楽園


住所:東京都文京区後楽1-6-6
電話:03-3811-3015(小石川後楽園サービスセンター)

丹三郎


住所:〒198-0104 東京都西多摩郡奥多摩町丹三郎260
電話:0428-84-7777
FAX :0428-84-7777
http://sky.zero.ad.jp/tanzaburou/

エリック・ジェイコブセン(Eric Jacobsen)


<プロフィール>
1963年11月16日生まれ。
アメリカ・ニューヨーク州出身のミュージシャン、作曲家。
コロラド州立大学日本語学科卒。
17歳の頃に山梨県立日川高等学校へ留学。
1998年に英語であそぼにてペッパー・タイガー役の声優として出演。
同時期の音楽クリップにも顔出しで出演している。
2001年より同番組に顔出しで出演(当初は「Hi!Eric」のコーナーを担当)。
出演者・設定などが変わった2011年現在も出演中である。