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2011年4月1日・8日放送 「包む×風呂敷」
そのシンプルな正方形の布には、日本の美しさのエッセンスが詰まっています。どんなものでも、どんな形にも。相手に合わせて、変幻自在に美しく包む込む風呂敷は日本文化を表すエコの代表的なアイテムです。
風呂敷が包むのは「物」だけではありません。日本人はこの布で、物と一緒に「気持ち」まで包んできました。
風呂敷に込められた日本の心を旅するのはフリージャーナリスト・桐谷エリザベスさん。もともと、ハーバード大学病院で、心臓や肺の研究していたエリザベスさんですが、休暇で訪れた日本に魅せられ、17年間、東京・谷中の長屋に暮らし続けました。そんなエリザベスさんが来日した頃からずっと魅かれているの「包む」を代表するアイテム、「風呂敷」なのです。
「風呂敷」は、何度でも使える、環境に優しいパッケージです。
世界には、様々な布がありますが「包む」という目的だけのためにこれほどバリエーション豊かな布が存在するのは「風呂敷」だけ。エリザベスさんにはそれが、とても新鮮だったといいます。
京都の風呂敷、袱紗の専門店、宮井本店。110年以上の歴史をもつ老舗です。伝統的なものから、最新のデザインまで、およそ2000種類もの風呂敷が取り揃えられています。
風呂敷に描かれる文様やデザインには大切な意味が込められています。
例えばお祝い事によく使われる「吉祥文様」(きっしょうもんよう)。相手の幸せを祈って縁起の良い図柄があしらわれています。
延命長寿や、末長い幸せを願う「束ね熨斗」(たばねのし)。結婚祝いの包みなどにも使われます。
「隅付」(すみつけ)は右下の斜めの家紋が、包んだ後に真ん中に来るデザイン。
もともと風呂敷は、神様へのお供えものを包んだ布から発祥したものだと言われています。「何より大切な相手に、穢れ(けがれ)のないものを捧げたい…」風呂敷で包むということは、そんな「感謝の心」のあらわれ。そう、贈る心を包むのです。
神々の里・島根県出雲市。この地には、嫁入り道具のひとつとして、親が娘にめでたい文様を染め抜いた風呂敷を持たせる「嫁入り風呂敷」の風習が有ります。
長田染工場は高瀬川沿いに店を構え、明治20年からずっと藍染めを続けている老舗。昔は、この地域一帯に50軒ほどあった染工場も今はここ1軒だけ。
4代目の長田茂伸(ながた しげのぶ)さん。昔ながらの「筒描き藍染め」という技法で「嫁入り風呂敷」の伝統を守り続けています。
もち米の粉で糊を作って、木綿に文様を描きます。そして様描きを終えた生地は、藍を発酵させた液体で満たされた、「藍瓶」(あいがめ)につけて染められます。浸けては乾かす作業を仕上げまで十回以上くり返します。風呂敷一枚作るのに、およそ20日間。
その長い時間と手間こそが、母から子供に向けられた愛情の多さと重なります。
この嫁入り風呂敷は、溢れる愛情で「包む」のです。
美濃部功藝・美濃部順一郎さんは新しい風呂敷の文化を創造している方。
和装小物を扱う卸問屋の四代目として生まれた、美濃部さんですが、家業を継ぐつもりはなく建設業界で設計しとして働いていました。家業を、そして風呂敷文化を救える自分にしか出来ない風呂敷とは?美濃部さんが思いついたのは、それまでの職業であった「建築」の考え方を、風呂敷に生かすことでした。美濃部さんの思いに、隈研吾さんや妹島和世さんなど日本を代表する建築家たちが次々に賛同。建築と布地を融合させたブランド「アーキテクスチャー」を作りました。インテリアやファッションの世界からも注目される新しい発想の風呂敷は、セレクトショップなどでも新たな風呂敷文化の風を吹かせています。
古都・京都で、風呂敷の普及活動につとめる森田知都子さん。風呂敷は紙袋やビニール袋と違い、何度も使え環境保全にも貢献できる。しかも、お洒落に美しく。森田さんはおよそ20年前に「ふろしき研究会」を設立。若い人へのワークショップなどを通して風呂敷の普及活動をはじめました。今では全国におよそ500名の会員を数えるほど、風呂敷の楽しさを伝えています。
そんな森田さんが、特別な想いを込めた「風呂敷」で桐谷エリザベスさんに、心を贈ります。
目黒区美術館 包む―日本の伝統パッケージ展(5月22日まで) |
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宮井本店 京都の老舗風呂敷・袱紗専門店 |
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長田染工場 出雲の「嫁入り風呂敷」藍染め |
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アミューズ ミュージアム BORO展(常設展示) |
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美濃部巧藝 ARCHITEXTURE |
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ふろしき研究会 ふろしき研究会代表 森田知都子 |
桐谷エリザベス
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