ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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7月24日(日) ゲスト:塩沼亮潤 (慈眼寺 住職)

慈眼寺住職・塩沼亮潤。
1968年、宮城県仙台市に生まれる。風呂のない家で、食事は近所のお裾分けに頼るほど、暮らしは貧しかったという。信仰心の厚い母に厳しくしつけられた塩沼は、小学校5年生の時、あるテレビ番組に衝撃を受ける。それは、比叡山で「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」に挑む行者・酒井雄哉を追ったドキュメンタリーだった。塩沼は、「これをやりたい!」と、直感で思ったという。
そして、19歳の時に出家。その時、母は塩沼の食器をゴミ箱に捨て、「もう帰ってくる家はないと思いなさい。砂をかむような苦しみを味わって、一人前になりなさい」という言葉で送り出した。
塩沼が門をたたいたのは、奈良県吉野山にある金峰山寺。昔から多くの山伏たちが悟りを得るために山にこもり、荒行を重ねてきた。ここで行われている「大峯(おおみね)千日回峰行」は、寺から24km離れた山上ヶ岳(さんじょうがたけ)山頂の大峯山寺まで毎日往復、これを1000日間続けるというもの。山に入れるのは毎年5月から9月の4カ月間のため、満行するまで9年もの歳月がかかる。また、天気が悪くても、病気にかかっても、中断することは許されず、もし途中で止める場合は「短刀で腹を切って“行”を終える」という厳しいおきてがある。
この決死の荒行に、塩沼は入山5年目から挑んだ。落石が目の前をかすめたり、クマに襲われそうになったり、40度の高熱にかかり真っ暗な山の中で倒れたり…。さまざまな経験を日々書き記してきた行日誌の一節を引用しながら、命からがら苦難を乗り越えたエピソードを披露する。
さらに、「大峯千日回峰行」を満行した翌年の2000年には、9日間堂にこもり“断食断水不眠不臥(ふが)”を貫く危険な荒行「四無行(しむぎょう)」に入った。この時最も苦しんだのは、水が飲めなかったこと。5日目から1日1回だけ許された“うがい”が、大きな救いとなったという。極限に追い込まれた人間は、どのような状態になるのか? 秘蔵映像とともに、掘り下げていく。
究極の荒行を成し遂げ、「大阿闍梨(だいあじゃり)」となった塩沼だったが、まだ悟りを得ることはできなかった。山で学んだことを生かして、人々の役に立てる人間になったのは、下山し、故郷の仙台に帰った後に待ち受けていたさまざまな試練のおかげだという。その試練とは、一体何だったのか? そして、たどり着いた境地とは、どのようなものなのか?
インタビュアーは、女優・野際陽子。塩沼が千日回峰行に興味を持つきっかけとなった、酒井雄哉氏を、以前インタビューしたことがあるという。48歳の“生き仏”の壮絶な修行道、そこに秘められた金言の数々を、野際独自の視点で聞き出していく!