ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
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1月30日(土) ゲスト:リリー・フランキー(イラストレーター、作家、俳優など)
イラストレーター、コラムニスト、俳優、小説家、ミュージシャン、写真家など、さまざまな分野で活躍するリリー・フランキー。これまでにブルーリボン賞新人賞や日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞を受賞するなど、その演技力は高く評価されている。そんなリリー・フランキーの名前を一躍世に広めたのが小説「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~」だ。これまでに220万部を売り上げたこのベストセラーは、自分と母の半生をつづった自叙伝的長編小説となっている。この内容を振り返りながら、彼の半生をたどっていく。
1963年、福岡県生まれ。デザイン関係の仕事をしていた父親の影響で、絵を描くのが大好きな子どもだった。その興味は変わることなく、高校は親元を離れ、大分の美術専門の高校へ進学。そしてどこか憧れていた東京に出るため、武蔵野美術大学へ進んだ。大学卒業後、リリー・フランキーは、周りの人たちがほとんど就職していた時代に、就職しないという道を選ぶ。
友だちや知り合いからイラストや原稿を書く仕事をもらい、細々と生活していたものの、お金が足りなくなり消費者金融から借金、あげくの果てにはどこも貸してくれなくなるまでに借金が膨らんだ。そんな中での唯一の楽しみが、レンタルビデオを鑑賞することだった。その時に見た多くの作品に影響を受けた、と振り返る。
また、話はリリー・フランキーが15年ぶりに単独主演を務め、2月に公開される映画「シェル・コレクター」にも及ぶ。どこか不思議で見る人に色々と考えさせる、というこの作品の魅力とは? 俳優としてのリリー・フランキーについても、本心を飾ることなく語る。
さらに、作詞や作曲を手掛ける"ミュージシャン"としての素顔、また、グラビアで多くの女性を被写体に写真を収めてきた"写真家"としての素顔、それぞれどんなことを思い、考えて表現してきたのか…表現者としての核についても迫る。
インタビュアーは、月刊ゲーテ編集長・舘野晴彦。旧知の仲だが、2人でじっくり言葉を交わすのは今回が初めて。普段は自分のことをあまり語らないリリー・フランキー、舘野を前に気を許したのか自然体で本音がポロポロ…自由気ままにトークが繰り広げられる。
1月31日(日) ゲスト:堀威夫 (株式会社ホリプロ ファウンダー最高顧問)
株式会社ホリプロ ファウンダー最高顧問、堀威夫。
横浜で生まれ育ち、終戦を迎えたのは13歳の時。街には進駐軍とともにさまざまな音楽があふれていた。そのころ、堀はギターの音色と出会い、音楽の道へ。大学時代には、プロのミュージシャンとして活動していた。しかし、才能の限界を感じていた27歳の時、脳裏に「ギター弾きを男子一生の仕事としていいのか?」という疑問がよぎる。そして、表舞台を降り裏舞台へ。これが、芸能プロダクション社長としての人生の幕開けだった。
昨今の華やかな印象とは対照的に、当時はまだ"芸能界はあやしいもの"というイメージが強かった時代。しかし、堀は「芸能プロダクションを男子一生の仕事にする」と心に決めていた。以来、今日まで多くのスタータレントを輩出し続けるとともに、グループサウンズやアイドルブームなど、さまざまなムーブメントを巻き起こす。その歩みは、まさに"戦後日本の芸能史"といっても過言ではない。
インタビューで語られたのは、芸能界が最も輝いていたころの裏話の数々。グループサウンズブームの影で、次なるムーブメントを目標に見出した和田アキ子との出会い。「ホリプロ」を急成長させることとなった、森昌子のデビュー秘話。いまだ伝説のアイドルとして記憶に残る山口百恵との出会いから引退まで…。堀だからこそ語れる数々の逸話とともに、その55年の軌跡に迫っていく。
独自の哲学と感性を武器に、原石を見つけ出しては磨き上げ、売り出してきた堀。そのぶれることのない"人生の軸"とは? ネットなど、多様化するメディアが存在する中で、今の時代に売れるタレントとは? 往年のアイドルたちの秘蔵写真とともに、堀威夫の「裸の履歴書」が明かされる!