ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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4月25日(土)ゲスト:ロバート キャンベル (東京大学大学院教授)

1957年、ニューヨーク生まれのアメリカ人で、30年以上も日本文学の研究を続けるロバート キャンベル。“日本人より日本を知る外国人”として、幅広い知識と独自の目線で、日本を分析。現在は、東京大学大学院で教べんをとる。

インタビュアーは、キャンベルと何度も番組やイベントで共演し、親交もあるというタレント、エッセイストの小島慶子。
現在キャンベルが、雑誌に「銀座文学探訪」と題したコラムを連載中ということもあり、銀座レンガ通りで待合せ。二人のトークは、文明開化のシンボル「銀座レンガ通り」の歴史の解説からスタートする。

キャンベルは、アイルランド移民の子としてニューヨークのブロンクスで生まれる。ヨーロッパ各国の移民に囲まれた幼少時代。キャンベルは“生きるのに厳しい環境だった”と振り返る。その環境が今のキャンベルに大きな影響を与えたという。

研究の専門分野である“江戸文学”では、白熱したトークが交される。今でも新しい発見があるとキャンベルは目を輝かせて小島に解説する。
「キャンベルと日本語の出会い、きっかけは何だったのか?」
「なぜ、キャンベルは、日本文学の研究を続けるのか?」
キャンベルが、日本と出会った当時を振り返る。

番組では、キャンベルの自宅を取材。キャンベルの素顔を垣間見ることができる。地下一階の書庫は、まるで図書館の蔵書室だ。そこで、初めて日本に来た時に東京神田の神保町の古書店で購入したという、貴重な初版本を見せてもらった。そこに、キャンベルが日本文学を研究するきっかけとなったエピソードがあった。

さらにキャンベルは、日本語がもたらす危険性や、人気の出版物に対する日本人の反応に警鐘を鳴らす。東京大学では、これまでとは違う日本文学の講義を展開。未来の日本を背負う若者に熱いメッセージを送っている。これまで知られていなかったキャンベルの素顔に、小島慶子が迫る。

4月26日(日)ゲスト:奈良岡朋子 (女優)

文学座、俳優座と並ぶ日本三大新劇団の一角、劇団民藝の看板女優で、同劇団の代表をつとめる奈良岡朋子。芸能生活67年。映画やドラマ、さらにはナレーターと舞台の外でもひっぱりだこの奈良岡だが、今も1年の半分は全国各地を巡業する生活を送っている。女優業に専念するためずっと独身を貫いてきたというストイックな奈良岡が、齢85となった今、日々、考えているのは「人生の終末に向けてどのように生きていくか」。自分らしい老い方を探し求める孤高の女優の生き様に野際陽子が迫る。

インタビューの場所は川崎市にある劇団民藝の稽古場。
テレビの世界で育ってきた野際、奈良岡と面と向かって話すのは今回が初めて。

女子美術大学油絵科2年の時、民藝の俳優養成所試験に合格し劇団入り。同期の大滝秀治とともに、鬼才・宇野重吉から徹底的にしごかれ、確かな演技力を身につけていく。独身を貫いた理由のひとつが当時、宇野から言われた一言。
「結婚すると声が、ぬかみそ臭くなるからするな」。
やがて、その味わい深い演技、存在感が評判を呼び、奈良岡の元には映画、テレビドラマなど
様々な仕事の依頼が来るように。

どんな場所でも舞台女優としてのスタンスを崩さない奈良岡。一方、NHKのアナウンサーから転身しテレビの世界でマルチに活躍、女優としての幅を広げてきた野際陽子。2人の「女優観」の違いとは。
 
奈良岡の、誰に対しても決して媚びないその姿勢は、多くの人々を引きつけた。スター・美空ひばりは奈良岡を「姉貴」と慕いお酒を携え自宅に足繁く通った。その美空が奈良岡の舞台を観て、思わずプレゼントしたものがある。奈良岡は持参したそのプレゼントを手に親友、美空ひばりの素顔を語り始めた。

一昨年、奈良岡が始めた、井伏鱒二の代表作「黒い雨」を朗読するひとり舞台。高等女学校時代、東京大空襲にあった奈良岡。戦争の記憶は生々しく思い出したくなかったが、70歳を過ぎたあたりから考えが変わったという。
「自分が生き残った意味はなんだろう。 人生の終末に向けてやるべきこと、残すべきこと、伝える使命があるのでは。」
戦後70年を迎える今、奈良岡が自らに課した使命とは?