ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
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9月14日(日)ゲスト:岩田弘三
日本の食卓に数々の革新を持ち込み、今やデパ地下のお惣菜業界で「売り上げ」「店舗数」ナンバーワンに上り詰めたロック・フィールドの創業者、岩田弘三。人気商品「神戸コロッケ」、サラダのブランド「RF1」など、7つのブランドを率いている。時代時代で新しい「食」の価値を見出し、成功を収めてきた岩田弘三の人生に、作家・吉永みち子が迫る。
吉永みち子が訪れたのは、ロック・フィールドの静岡ファクトリー。1991年に建築家・安藤忠雄が初めて設計した工場建築。風力発電やビオトープなどもあり、環境に配慮した工場になっている。目立つのは工場入り口へと続く200メートルの真っ白な回廊。この長い回廊には「豊かさと便利さは同じではない」という安藤忠雄の思いが込められているという。岩田もこの「豊かさ」を大切にして惣菜を作り続けてきた。
工場に入って、吉永が岩田とともにまず向かったのは、社員食堂。ここでデパ地下に並べてあるサラダと同じものを食べることができる。人気のサラダブランド「RF1」の食材の組み合わせとは? さらに、もともとレストラン・外食産業で働いていた岩田が、惣菜の世界に飛び込んだきっかけとは?見せてもらったのは、数枚の写真。初めて海外視察に行った44年前に撮ったデリカテッセンの写真だ。この欧米デリカテッセンを見た衝撃から岩田は「惣菜を作る」ことを心に決めたのだという。
ロック・フィールドの歴史でも爆発的なヒットを記録したのは、1989年に立ち上げた「神戸コロッケ」。1店舗で1日1万個売れるほどで、行列も絶えなかったという。しかしそこまでには多くの苦労があった。時代はバブルまっただ中。庶民的なコロッケの店をデパートの地下に作ることに、周囲からは反対を受けたという。それを押し切ってまで作った「神戸コロッケ」。ヒットにつながった秘策を伺う。
しかし、岩田に人生最大の危機が…。1988年の汚水流出事件。工場からの排水がオーバーフローし、海に流出。排出基準値を超える排水を県警が摘発したのだ。メディアにも取り上げられ、大きな騒ぎになった。この時の新聞を、岩田は常に机の引き出しにしまい、自分への戒めとしているといる。しかし、この事件をきっかけに、ロック・フィールドは大きく方向転換をすることになったのだ。
岩田が次に考えているのは、少子高齢化の進行に向けて、お年寄りも子供も食べられる新メニュー。時代を先読みし、常に新しい食卓の姿を模索し続けてきた岩田が話す、未来の惣菜の姿とは?