ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
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6月21日(土)ゲスト:大竹しのぶ
女優・大竹しのぶ。1975年の映画「青春の門-筑豊編-」のヒロイン役で本格デビューして以後、数多くのTV・映画・舞台で活躍、名実ともに日本を代表する女優となった。 インタビューの場所は、大竹が出演する、人気脚本家・三谷幸喜氏の最新舞台「抜け目のない未亡人」の稽古場。大竹の自叙伝「私一人」の編集者であり、プライベートでも親交のある、月刊「ゲーテ」編集長・舘野晴彦がインタビュアーを務めた。
デビュー以来、様々な役を演じてきた大竹。作品に出演する上で、一番重要視しているのは何か?何を基準に出演を決めているのか?また、山田洋次、蜷川幸雄、松尾スズキ、宮本亜門、ケラリーノ・サンドロヴィッチなど、多くの名匠達と仕事をしてきたが、彼らから受けた影響、また好きな演出家、嫌いな監督はいるのか?大竹しのぶの「女優像」について迫る。
私生活においては、当時「略奪婚」とスキャンダラスに報じられた最初の結婚では、長男を授かるも、夫が癌で他界。その翌年、ドラマの競演をきっかけに明石家さんまと二度目の結婚をするも、次第にすれ違いが生じ離婚という、まさに波乱万丈の結婚生活を送ってきた。 そんな大竹も今年で57歳。長女IMALUはモデル・女優として活動するなど、子育ても卒業。結婚、離婚、仕事、家事、子育てと激動が続いた20代・30代・40代を経て、50代となった今、どのように人生を、恋を見つめているのだろうか?
舘野は、大竹の印象をこう語る。 「敢えていうなら大竹さんは、怖い人であり、まっとうな人」 深い付き合いの舘野だからこそ聞ける、大竹しのぶの素顔とは?
6月22日(日)ゲスト:井村雅代
今春、10年ぶりにシンクロナイズドスイミング日本代表のコーチに復帰した井村雅代。日本のシンクロチームを強豪に育てた井村だが、その後、中国のナショナルコーチに就任。そして、今回の復帰。そんな井村を、スポーツ・アナウンサー、ディレクターとして、30年間、見守り続けてきた宮嶋泰子が、これまで語られなかった、移籍の裏側にあった真実を聞く。 インタビューの舞台は、シンクロ日本代表の練習場所である国立スポーツ科学センターのプールの、地下の部分。水面で繰り広げられるシンクロの美しい動きを支える、水面下の動きをしっかりと見ることができる舞台裏だ。
2004年のアテネオリンピックの後、30年の日本代表コーチにピリオドを打ち、北京オリンピックを前に中国に渡った理由とは。そして、様々なバッシングを受けながらも、中国に初めてのメダルをもたらした井村哲学とは? 一方、中国が好成績を収め続ける一方、日本代表チームは低迷を続けていく。それを、井村はどのような思いで見つめ続けていたのか?
実は、北京オリンピックの後、井村は日本の代表チームのコーチに戻ることを希望していたという。しかし、指導者の若返りなどを理由に叶わず、再び中国へ。そして、ある国際大会で日本チームと同じ場に滞在し、かつての教え子たちと再会。今だからこそ語れる当時の出来事、そして胸に抱え続けた知られざる思いを、井村はが涙ながらに語った。
さらに、世界中が注目する井村の指導力。メダルを獲り続ける技術の原点について語る。きっかけとなったのは、コーチになりたての頃、指導していた選手に言われたある一言。それが負けず嫌いの井村コーチに火をつけたという。シンクロの基礎。「合う」とはどういうことかを追及し続け、欧米に比べ不利であるとされる、日本人の体型を美しく見せる技を編み出したのだという。
井村の元で再び始動した日本のシンクロ。井村は、今後の日本シンクロの道筋がはっきりと見えているという。井村が考える、そのゴールとは?