ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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4月5日(土)ゲスト:与勇輝

見る人の郷愁を誘う、どこか懐かしい世界に運んでくれる布の芸術。 そんな人形たちを独自の手法で作り上げる生みの親・与勇輝、76歳。

2001年、2002年に行われた個展では、延べ120万人を動員。 人種や国境、そして年齢を超え、なぜ、与の作品は多くの人を虜にするのだろうか? 今回、その世界観の秘密と共に人形作家・与勇輝誕生の軌跡…、そして、作品に込めた知られざる思いについて松岡修造が熱く切り込む。

インタビュー場所は与勇輝の名前が刻まれた河口湖の畔に建つ美術館。 松岡修造を迎えてくれたのは、憂いを帯びた表情で遠くを見つめる少女…。 戦地に赴く兵隊を見送る残された家族…野球に熱中する少年たちなど、どこか懐かしい昭和の風景を切り取ったような人形たちだった。

そんな作品について与は『人形は鏡。心の奥底まで映す鏡です。その時に自分が 何を考え、何を悩んでいたか、はっきりわかる日記です』と答える。 人形たちは言わば与本人の喜びや悲しみ…、そして葛藤などを形にしたものなのだ。

世界的人形作家となった今でも、衣装や小道具まで、すべて一人で作り上げる与。 その孤高の作品作りの根底には何があるのか? 番組では与の創作過程をとらえた秘蔵映像と共に数々の作品を紹介する。

プロテニスプレーヤーとして「動」の世界で道を極めたアスリート・松岡修造。 それとは正反対の動くことのない人形という「静」の世界で道を極めた職人・与勇輝。 「静」と「動」それぞれの世界で歩み続けてきた2人が真剣勝負に挑む。

4月6日(日)ゲスト:立川志の輔

大学在学中から落語研究会に所属し、落語に没頭する青春を送った立川志の輔。 大学卒業後、広告代理店に就職した志の輔は、落語をやりたいと思いながらも、中々踏み入る事が出来なかったという。 しかし6年後、28歳で一念発起し、広告代理店を辞め立川談志門下に入門。 噺家になる決意を決めた真意とは?立川志の輔にとって師匠・談志の存在とは?今だから話せる師匠・談志への思いに迫る。

18歳まで富山で育った志の輔。月に1度は必ず富山での寄席を行っている。故郷、富山で寄席をする際は富山弁で落語を行うと言う。富山を愛し続ける志の輔にとって故郷とは?少年時代とは?育ての親、祖父母との思い出を語る。

1996年から毎年1月に行われる独演会「志の輔らくご in PARCO」。 18年目に当たる今年、今まで一度もなかった前代未聞のトラブルが勃発。 そのトラブルとは?その時志の輔がとったある秘策とは?

2004年に発表され、志の輔落語の代名詞と呼ばれる名作「歓喜の歌」は、映画化もされ大反響を呼んだ。そんな「歓喜の歌」の制作秘話を語る。

インタビュアーは女優の野際陽子。立川志の輔の独演会に毎年足を運んでいる野際。同じ富山出身の野際ならではの目線で、富山の郷土料理に舌鼓を打ちながら志の輔の素顔を引き出す。