ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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3月22日(土)ゲスト:小久保裕紀

昨年10月、新生「侍ジャパン」の監督に就任したのは、現役引退からわずか 1年足らずの小久保裕紀。

「ソフトバンク・巨人で活躍した強打者」だが、監督としての小久保裕紀の実力に疑問を持つ声も少なくない。しかし、球界関係者の中には、ソフトバンク、巨人の両球団で主将を務めたリーダーシップ、またWBC日本代表優勝を成し遂げた、王貞治氏から帝王学を学んだ小久保こそまさに適任者だ、と期待する声も多い。 果たして大胆すぎる起用は、吉と出るのか?それとも凶と出るのか?

競技は違うが、日の丸を背負い戦ってきた元サッカー日本代表・中山雅史がインタビューを敢行。理想の監督像、選手と監督との違い、チームをまとめる苦労などなど、「絶対に負けられない戦い」を経験した稀代の名選手二人が、大いに語り合う。

また人間・小久保裕紀を語る上で欠かせないのが、「ケガとの戦い」。 右ひざ前十字靱帯断裂など、選手生命を断たれかねない大けがを何度も経験。常に満身創痍でグランドに立ち続けてきた。中山雅史も10回の執刀手術を受けるなど、あらゆるケガを負いながら現役を続けてきた選手。 二人は、かつての自分たちのようにケガをしながらも出場する選手をどう見ているのか?無理してでも出場させるのか?それとも休ませるのか? 「監督・小久保裕紀」の実像、そして侍ジャパンの今後を紐解いていく。

3月23日(日)ゲスト:千玄室

1923年、裏千家14代家元・碩叟宗室の長男として、茶道の名家に生まれた玄室(前家元・大宗匠)。茶道の作法を一から学び、おもてなしの精神を養い続けた少年時代。稽古をつけてくれた父の存在とは?そして茶道と共に成長した少年時代とは?重圧を感じていたという意外なエピソードに迫る。

1943年。戦時中、玄室は学徒動員によって海軍に入営し、厳しい訓練を受け る事となる。戦況が悪化していく中で玄室は、特攻隊に志願。その覚悟とはいかなるものだったのか?そして、滑走路上で特攻隊の仲間にお茶を点て振舞った真意とは?戦争から学んだ平和への願いとは?

1951年。始めて渡米しアメリカで茶道を教えた千玄室。 以来、半世紀に渡り60カ国以上の国々で茶道の紹介と共に、平和を訴える活動を行う。「一碗からピースフルネスを」の理念のもと、平和のために活動し続ける思いを聞く。

インタビュアーは女優の野際陽子。茶道を極めた千玄室大宗匠の素顔を野際陽子ならではの視点で引き出していく。 また今回、特別に千玄室大宗匠がお点前を披露。野際陽子が頂く。