ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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2月15日(土)ゲスト:牛尾治朗

父の経営していた会社の不採算部門を独立させ、33歳でウシオ電機を設立した、牛尾治朗。牛尾が掲げた理念は「社員ひとり一人の人生の充実」だった。 1969年、38歳で若手経営者が集まる日本青年会議所会頭に就任。財界きっての論客として知られるようになる。 また、社会工学研究所、いわゆるシンクタンクを設立。 学者を集めて日本社会の今後などについて多いに議論を交わした。 この時のことを「自分の会社の経営拡大よりも、日本の役に立つため何かしたい」と語る。

そんな噂を聞きつけてか、当時の大平首相から牛尾にある相談が持ちかけられる。 「総理大臣に立候補しようと思うからブレーンを作って欲しい」。 この時、牛尾は「総理大臣になってどんな政策をするかを考えないとダメでは?」と助言したという。

1981年、第2次臨時調査会、当時の経団連会長・土光敏夫氏から手伝って欲しいと言われ、専門委員に任命。いわゆる土光臨調。 増税なく財政再建を目的とし、国鉄、電電公社、専売公社の民営化などを後押しするなどの活躍をする。 国鉄民営化で運輸省の官僚たちからの猛反対に合い、牛尾たちがとったある秘策とは…?

そんな牛尾は、日本の今後をどう思っているのか?少子高齢化が進む中、日本国民が75歳まで楽しく働ける社会を作らないとこの国はダメになる…。そのために今やるべきことは…。傘寿を過ぎた今も改革の意欲が衰えない牛尾治朗の、裸の履歴書に迫る。

2月16日(日)ゲスト:井上陽水

70年代から今もってトップの座にあり続ける、歌手・井上陽水。 美声が奏でる「独特な詞の世界」。日本の音楽史の中で、最も分類し難い、奇才! そんな陽水も、気付けば65歳!今年でデビュー45周年を迎える。 …にもかかわらず、一体何を考え、どんなプライベートを過ごしているのか?そこは謎に包まれたまま。 インタビュアーの吉永みち子は、陽水と数十年に渡る飲み仲間。 知っているようで知らない、井上陽水の「素顔」に迫る!

炭鉱の町・福岡県田川で生まれ育った陽水。 少年時代、音楽の先生に怒られて、罰として歌わされた時、 先生に「歌が上手ね」と褒められたことが、歌が好きになるきっかけとなった。 奇才・井上陽水と言われる所以は「独特な詞の世界」。 一体どのようにして名作を誕生させているのか? 実は、ほとんどが締め切りに間に合わせて書いた、苦し紛れのものだという。果たして本当なのか?

友達と会ったり、マージャンをしたり、妻と映画を観たり、買い物に行ったりと、意外に普通の休日を過ごすという陽水。 お孫さんとは卓球をするが、子供は疲れ知らず。いつも、そのエネルギーに 圧倒されるんだとか。

長年の友、吉永みち子だから聞ける、知られざる井上陽水の素顔に迫る。