ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
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2月22日(土)ゲスト:三村明夫
2013年11月に日本商工会議所会頭に就任した三村明夫。彼は新日鐵住金の相談役名誉会長だが、産業界で、今回の人事は"異例ずくめ"と言われている。日商の会頭になるために必要とされてきた副会頭の経験がないことや、73歳という高齢であることなどだ。経済界での豊富な経験や見識が買われたからこその人事。三村新会頭は、日本の経済界の今後をどう考えているのか?
日商の会頭になる前は、製鐵会社に50年間勤めた三村氏。これまで日本の経済界の歴史に残る大合併を2度も経験している。1度目は富士製鐵と八幡製鐵の合併。そして2度目は新日鐵と住金の合併である。さらに、社長時代には世界中でM&Aを仕掛けていたアルセロール・ミタル社から敵対的買収をされそうになった。しかし、三村の交渉で買収されずに済んだのだ。
1985年のプラザ合意を受けて急激に円安となった時には、新日鐵でも合理化が進められた。6万7千人いた社員を1万5千人に削減したのだ。しかし、関連会社などを作り、そこへの就職を斡旋。従業員の解雇はしなかったという。
日商の会頭といえば中小企業の代表である。「中小企業こそ日本を支えている。中小企業を育てないと日本がダメになる」と三村は語る。大企業でこれまで数々の経営手腕を発揮した三村。これから先、中小企業が生き残るために必要な方法とは?ジャーナリスト・嶌信彦が迫る。
2月23日(日)ゲスト:笹本恒子
1940年、25歳にして日本初の女性報道写真家になった笹本恒子。当時は女性の仕事に対してまだ偏見もあった時代。なぜ、報道写真という世界で、様々な困難を乗り越え、今に至るまで続けてこられたのか? とても今年100歳になるとは思えないほど若々しく、輝きが衰えない笹本の姿に驚きと興味をもって、吉永みち子が迫る。
太平洋戦争、高度経済成長など、社会の状況が激変した昭和時代。まさに歴史の生き証人として時代を駆け抜けた笹本の100年にわたる人生は、けっして順風満帆とはいえない。時代に翻弄され、一時は写真の仕事から離れざるを得ない時期もあったのだ。しかし、そんな時期も持ち前の好奇心とバイタリティで乗り切ってきたという。
激動の時代を、女性ならではの目線で切り取った写真の数々。笹本でなければ撮れなかった、そんな作品の秘密に迫る。
笹本が輝いている秘密は、好奇心を持ち続ける、日常生活にあるのかもしれない。そんな笹本の普段の暮らしぶりも拝見。いつまでも若々しくありたい女性たちに、大いに参考になるだろう。