ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
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2月1日(土)ゲスト:上村愛子
スキー・モーグル選手、上村愛子。松岡修造が、彼女の波乱に富んだ18年の競技人生と、その成長を探っていく。 95年、高校1年生で初出場を果たしたワールドカップでいきなり表彰台に上がった上村。高校3年生で出場した長野オリンピック(98年)7位入賞を皮切りにソルトレイクオリンピック(02年)6位入賞、トリノオリンピック(06年)では高難度のエアを成功させ5位入賞と、3大会連続出場し着実に順位を上げ日本を代表するスキーヤーに成長していく。
2007年~2008年のシーズンには、ワールドカップ5連勝、日本スキー界で女性として初となる種目別年間優勝を達成し、念願の世界No.1の称号を手にする。2008年~2009年のシーズンの世界選手権大会においても、シングルレース、デュアルレースの二冠を達成した。
2009年にはアルペンスキーヤーの皆川賢太郎と入籍。 この結婚は上村の精神面を大きく変え、2010年のバンクーバーオリンピックでは、4位入賞。しかし、メダルに届かず、競技人生に疲れた上村は1年間の休養に入り、引退を考え始める。 そんな上村を、再び競技へ向かわせたのは、夫の一言だったという。2011年、競技復帰。果たして、夫の一言とは、どんな言葉だったのか?
長野オリンピックから16年、スポーツキャスターとして上村を追い続けた松岡だからこそ聞ける上村の本音とは?
2月2日(日)ゲスト:原田雅彦
1994年。リレハンメル五輪のジャンプ団体のエースとして登場し、金メダルを目前で逃した失敗ジャンプ。あの日から20年の月日が流れ、今だからこそ語ることの出来る失速の原因を明かす。国の期待を背負う重圧が引き金となり、無意識のうちに異変が起きていたのだという。
その4年後、日本中に感動を巻き起こした長野五輪。奇跡の大ジャンプで金メダルを引き寄せた裏側で、知られざる物語があった。猛吹雪で2本目の競技続行が審議される中、決死のジャンプで大会続行を決断さえたテストジャンパー。必死で雪かきをした係の人たち。そんな裏方たちの思いを胸に、原田はあのジャンプを飛んだのだという。
しかし、長野五輪以降、なぜ日本お家芸スキージャンプが表彰台から遠ざかってしまったのか?その原因ともいえる度重なるルール改定、そしてその背後にある競技とスポンサーの関係。スポーツ界のタブーに宮嶋泰子が鋭く切り込む。