昭和偉人伝

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古橋廣之進

敗戦国日本に世界一の男がいました。水泳自由形で33の世界新を記録した古橋廣之進。戦後初めて開催されたオリンピック・ロンドン大会。日本の出場は認められませんでした。それに対抗するようにオリンピックの水泳プログラムに合わせて、同日同時刻に同じ種目ぶつけた日本選手権を神宮プールで開催。古橋は400m、1,500mで未公認ながら世界新記録を出しました。翌年の昭和24年、初の海外遠征の全米水上選手権ロサンゼルス大会では古橋が出場した400m、800m、1,500m、800mリレー全種目で世界新記録を出して優勝、勝戦国アメリカの度肝を抜きました。この快挙の裏には、同じ日本大学水泳部に所属する橋爪四郎の存在と水泳選手としては致命的と言える左手中指切断を克服するための猛練習がありました。橋爪氏は「古橋は毎日2万m以上泳いでいたと思う」「二人で夜明けまで泳いだこともある」と言います。プールの中では1位2位を争うライバル、私生活では大親友の関係であった橋爪氏に、初のアメリカ遠征でのエピソードや古橋氏の偉大な記録達成の秘話について語っていただきました。
今回、秘蔵とも言える古橋氏直筆の練習日記が見つかりました。ノートにぎっしりと書かれた文面には「頑張れる時に頑張って練習しなくては立派な選手になれない」「水上日米の意気を示そうと一層の闘志がわいてくる」全米選手権に向けての思いや猛練習の記録が綴られています。
現役を退いた古橋は、水泳第二の人生を歩みます。それは東京オリンピックで大敗した日本水泳界の再建でした。国際舞台で優勝できる選手を生む取り組みは、ミュンヘン・オリンピック男子100m平泳ぎで実を結びます。日本選手最年少の田口信教が金メダルを獲得、強い水泳ニッポンが復活した瞬間でした。そして古橋はその後も鈴木大地、北島康介などのメダリストを生み出しました。
戦後の日本水泳界を率いた古橋廣之進。「魚になるまで泳げ」という古橋の言葉は 明日の水泳界を背負う選手たちにも引き継がれています。