昭和偉人伝

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小倉昌男(クロネコ宅急便)

クロネコヤマトの「宅急便」を生み出し、日本の流通を劇的に変えた男、小倉昌男。日本の宅配業界全体として2014年度、1年間に36億個を越える貨物が扱われています。日本人ひとり当たり、年間30個ほどの宅配便を利用している計算になります。まさにサービスの革命とも言える宅配便の登場は、日本人のライフスタイルを大きく変えたのです。その原点は、1976年にヤマト運輸の経営者・小倉昌男が自ら開発し生み出した「宅急便」に他なりません。しかし、これまで誰もやったことがなかった「宅急便」の誕生には多くの困難が待ち受けていたのです。まずは、小倉昌男の「宅急便」の提案に社内で全員が反対。そして、国の免許制度であった貨物輸送、全国各地に集配の拠点である営業所を設置しようにも当時の運輸省の許可がおりない。「官僚と闘う男」とまで言われ、正しいと思うものに正面から挑む小倉昌男の姿勢。そこには、ブレない企業経営者として貫き通す熱い思いがあったのです。

小倉昌男の父は、戦前には日本のトラック貨物輸送の基礎を築いた「大和運輸」の創業者でした。小倉は、学徒出陣、そして死の病とされた結核を乗り越え父の運送業を引き継いでいきます。しかし、戦後の国鉄や郵便による小荷物の運送は利用客にとっては不便なものだったのです。小倉の経営者として「宅急便」を始める目的は、「すべて需要者(お客)のために」と明確なものでした。番組では、小倉昌男がいかにして宅急便を作り出したのか迫ります。当時の社員の証言、小倉自ら作り出した宅急便の開発指南書とも言える貴重な資料を公開。小倉が目指した「全員経営」とは、日本の流通を変えた男の生涯を見つめます。