昭和偉人伝
バックナンバー
吉田茂/池田勇人
~戦後日本を再生させた二人の宰相!吉田茂と池田勇人~
終戦から70年目にあたる今年、改めて戦後日本の復興に力を注いだ、二人の宰相にスポットを当てたいと思います。一人は戦後の焼け野原から日本を再び独立国へと導いた吉田茂。そしてもう一人は、世界中を驚嘆させる経済復興を牽引した池田勇人である。
1946年5月22日に総理に就任した吉田は、1954年12月7日に退任するまで、この国の行く末を決める様々な決断を迫られた。吉田が総理大臣として一番の目標としたのが、日本の再独立「講和」を果たすことだった。「戦争で負けて、外交で勝った歴史がある」 吉田が語った言葉である。吉田は外交官として培ってきた持ち前の交渉術を駆使して6年の歳月をかけて独立を果たす。
その間には「日本国憲法の発布」「警察予備隊(自衛隊の前身)の創設」など、
戦後の日本の歩みを決める重要な出来事があった。吉田茂の決断は、今とどう繋がっているのか…検証する。
サンフランシスコ講和条約から9年後、今度は日本の奇跡の経済復興を牽引するリーダーが現れる。「今後、10年以内で国民の皆さんの所得を2倍にします」と高らかに宣言した男、池田勇人である。
大蔵官僚だった池田は難病を奇跡的に克服したあと、戦後の大蔵省で力を発揮、その後政界に打って出ると吉田茂の目に留まり、国会議員1年生でいきなり、大蔵大臣に抜擢される。しかし、政治家・池田勇人の発言は世間を騒がせることになる。「貧乏人は麦を食え」「私は嘘は申しません」。
そんな彼が発した世紀のキャッチコピーと言われるのが、所得を10年で2倍にするという"所得倍増政策"だった。
池田は内閣総理大臣の座に就くと、"所得倍増計画"を掲げ、日本を高度成長の波に乗せていく。池田が政界を去ったのは東京オリンピックの閉会式の翌日、
自ら退陣表明したのである。今、安倍政権は"三本の矢"と称する、経済再生政策"アベノミクス"を進めている。果たして、それは池田の時のような成果を生むことが出来るのか…
戦後の復興を担った二人の宰相の軌跡から未来へのメッセージを読み取りたい。