昭和偉人伝

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淡路恵子と夏目雅子



昭和を代表する2人の女優の実像を描き出します。
2015年1月11日、一人の女優がこの世を去り、早一年が経ちました。
女優、淡路恵子。
松竹歌劇団(SKD)養成学校・松竹音楽舞踊学校に入学後、巨匠・黒澤明に見出され、映画「野良犬」で女優デビュー。以降は、映画の他に、舞台やテレビドラマでも活躍。幅広い演技力でシリアスな作品から喜劇まで演じきり、見る者の心を魅了し続けました。
そんな淡路の姿は"和製マリリン・モンロー"と称され、映画界の巨匠たちから愛され、ハリウッドからも出演オファーが続く、当時、世界に一番近い女優でした。
しかし、女優として絶頂期だった時期に愛する男に人生を捧げることを決意し突如、引退。
そこから続いた離婚、借金、水商売への転落、子どもたちとの死別など幾多の苦難が淡路に襲いかかりました。
それでも、淡路は前を向き続けました。なぜ、淡路恵子は前を向き、輝き続けることができたのか?
番組では、淡路恵子の長男・島英津夫さん、淡路と親交の深かった関係者など、多くの人にインタビューを行いました。
取材によって見えてきたのは、どんな時も"誰かのために生きてきた"ということでした。
生きるとは・・・演じるとは・・・そして、愛とは・・・
数多くの証言と秘蔵映像から、"和製マリリン・モンロー"淡路恵子の魅力・原点に迫ります。

そしてもう1人の偉人は、今なお人々の心に鮮烈な印象を残している女優、夏目雅子。
27歳という若さでこの世を去った雅子は、命が消える最後の瞬間まで「演じる」ことへ、情熱を燃やし続けていました。
「鬼龍院花子の生涯」「瀬戸内少年野球団」「西遊記」…、作品ごとに全く違う表情で観るものを物語へと引き込む演技。その眼差しには時には狂気が、時には無限の優しさが宿っていました。子供の頃から女優になることを夢見ていた雅子は、最愛の母・スエの強い反対を押し切り「女優」の道へと足を踏み入れました。しかしデビュー当初、その演技は拙く57回のNGを出されることも。「お嬢様芸」という批判。そんなレッテルを払拭するため「演じる」ということにすべてをささげるようになります。それはまるで修行のような日々でした。一方、素顔の雅子は天真爛漫。付き人の引っ越しを手伝ったり、知り合いに頼まれサイン会を行ったり、飾らない性格で周囲に愛されていました。
1人の女性としての魅力。そして磨き上げた演技。その2つが重なり、大女優としての階段を上り始めます。そして、結婚。しかし、その矢先雅子を病魔が襲ったのです。
苦しい治療を受けながらも、回復を信じ母と演技の練習を続ける日々。
番組では、兄弟や関係者の証言から、「演じる」ということに命をかけた夏目雅子の輝きに迫ります。