昭和偉人伝

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山口淑子/島倉千代子


日本が大戦へと突き進み、そして終戦から戦後と時代が大きく揺れ動いた時代に生きた二人のスター。昭和という時代にアイデンティティさえも見失いそうになりながらも懸命に生きた、女優と歌姫。2人の偉人の実像を描き出します。

1人目の偉人は、女優 山口淑子。日本人として中国で生まれ13歳の時に中国人歌手 李香蘭としてデビュー。その後、満州国の満州映画協会に入り専属映画女優となり、「白蘭の歌」「支那の夜」「熱砂の誓ひ」「萬世流芳」などの主演映画は、劇中歌「蘇州夜曲」「賣糖歌」「夜来香」などと共に、満州のみならず中国全土で人気を博すことになります。
しかし、終戦時には「日本に協力した中国人」として軍事裁判にもかけられ、死と向き合いことに…。 日本に帰国後は山口淑子の名で映画女優・歌手として活躍。ハリウッドにも進出。芸能活動引退後はジャーナリストとして、晩年は参議院議員として政界入りも果たすなど、94年の人生は、数奇と呼ぶにはあまりにも激しいものでした。
昭和という時代に翻弄された山口淑子。今だからこそ、この時代だからこそ、その声に耳を傾けるべきではないでしょうか。
そしてもう1人の偉人は、2013年11月8日、帰らぬ人となった、島倉千代子。そのわずか3日前に、歌録りが行われていた新曲『からたちの小径』。最後まで、その人生は歌に導かれ、歌に捧げられたものでした―。
戦後すぐの暗い時代、力強い歌声で人びとに希望を見せた、美空ひばり。対照的に、「もはや戦後ではない」時代にあらわれた島倉千代子は、儚げな笑顔と震える歌声で、聴く者の心をそっと慰め、そこから半世紀以上にも渡って、歌謡界の第一線に立ち続けました。
母との確執、騙されて背負った多額の借金、襲いくる病魔、度重なる不幸…、数々の苦難を抱えてステージに上がり続けた「流行歌手」としての姿、そして、誰よりも家族を欲しながらついに得ることができなかった「女性」としての姿。2つの視点から島倉千代子を見つめ、その実像を描き出します。
千代子の背中を見つめ続けた後輩歌手・都はるみさん、代表曲『東京だョおっ母さん』を作曲した船村徹さん、モノマネを公認されたコロッケさんなど、その素顔を窺う貴重なインタビューと、デビュー曲『この世の花』から『愛のさざなみ』『人生いろいろ』まで、島倉千代子が遺した多くの名曲群で読み解く、歌ひとすじの人生。
流行歌手・島倉千代子の歌声はいまも、私たちの心に流れています。