昭和偉人伝
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市川雷蔵
映画俳優・市川雷蔵が、37歳の若さでこの世を去ってからすでに半世紀近くがたちました。しかし、その人気は衰えることはなく、雷蔵主演の映画は今も各地で上映され続けています。
歌舞伎役者として育ちながら、昭和29年、23歳の時、映画界に転身、その後大映で15年間に渡り159本の映画に出演しました。年平均10本近くの作品に出演したことになります。市川雷蔵は、第二期黄金時代を迎えていた当時の映画界にあって、まさに燦然と輝くスターでした。
外国人宣教師と日本人女性の間に生れた混血の剣士・眠狂四郎を始め、岡っ引き、公家、博徒、忍者、大名、陸軍中野学校出身の間諜、殺し屋、狸など、多彩な役柄に扮して、多くの大衆娯楽映画に出演する一方、雷蔵は文芸作品と呼ばれる映画にも数多く出演しています。
三島由紀夫の小説「金閣寺」をもとに市川崑が映画化した「炎上」(1958年)で、雷蔵は初の現代劇に挑戦、寺に放火する吃音の青年を演じ「キネマ旬報男優賞」、「ブルーリボン賞男優主演賞」を受賞、雷蔵はデビュー5年目にして日本映画を代表する俳優の一人となったのです。
また雷蔵は、自ら企画・立案した作品にも積極的に取り組みました。山崎豊子の小説を原作にした「ぼんち」(1959年)は、その一つで、監督には「炎上」の市川崑を起用しています。
なぜ、雷蔵は様々な役柄を見事に演じわけることが出来たのでしょうか?その背景に、三人の母を持つた雷蔵の複雑な生い立ちを見る人々が数多くいます。
市川崑監督は「炎上」の雷蔵を、「演技というより、演技を通り越した何かがあったと、ぼくには思えましたね。彼がそれまで背負ってきた、人にはいえないような人生の何かしらの表情がね」と、語っています。
雷蔵の半生とは、どのようなものだったのでしょうか?
映画を愛し、どの作品にも情熱を傾けて取り組んだ市川雷蔵は、川端康成の小説を原作にした「千羽鶴」の映画化に取り組んでいるさ中、病に倒れ亡くなります。
その時、雷蔵のもう一つの夢も消えてしまいました。雷蔵がプロデューサーとして立ちあげた劇団「テアトロ鏑矢」です。シェークスピアの「マクベス」とギリシャ悲劇の「オイディプス王」を下敷きに作られた「海の火焔樹」は、京都と大阪で公演を予定していましたが、ついに幻に終わってしまったのです。
雷蔵が「テアトロ鏑矢」にたくした思いとは?
番組では、出演映画や、雷蔵自身が記述した後援会誌、雷蔵を知る関係者などの証言をもとに、今なお光り輝いている市川雷蔵の魅力と、雷蔵の果たせなかった夢の中身に迫ります。