昭和偉人伝
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杉原輝雄
ここ最近、若手ゴルファーの台頭がめざましい日本ゴルフ界。
最年少記録が続々塗り替えられるなか、長く続けなければ樹立することができない2つの偉大な世界記録があります。
そのタイトルホルダーこそ… 日本プロゴルフ界のドン、杉原輝雄。
身長162cm。恵まれない体格を克服すべく猛練習を重ねた結果、生涯優勝回数65回。日本のプロゴルフツアーに半永久的に出場できる永久シード権を獲得するまでになります。そんな杉原のゴルフの信条、それは、とことん勝負にこだわること。絶対にあきらめない杉原のしぶとさから、人は彼を「まむし」「勝負師」と呼ぶようになりました。そして、杉原の勝利への執念は、ときに驚くべき結果を生み出します。
今回、杉原の好敵手であった"世界の青木"こと青木功プロが、当時の貴重な話を赤裸々に語りました。
転機は杉原輝雄60歳のとき。彼は病に冒されます。病名は前立腺がん。早期の発見であったため、手術すれば完治は間違いない状態。しかし杉原が選択したのは「手術しないでゴルファーとして生涯現役を貫く!」でした。そこから病と闘いながらゴルフツアーに参加し続けるという厳しい日々が始まります。そんな状況にありながらも杉原は、最年長ゴルフツアー予選通過記録(68歳10か月)、同一大会51年連続出場(73歳のとき)という2つの偉大な世界記録を達成するのです。
一体なぜ、杉原輝雄は命を懸けてまで生涯をゴルフに捧げたのでしょうか?
PGA会長の倉本昌弘プロ、プロゴルファーである息子・敏一さんをはじめ多くの関係者の証言から、杉原輝雄のゴルフに掛けた壮絶な人生に迫ります。