昭和偉人伝
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阿久悠
生涯、作詞を担当した曲は5000曲を超え、シングル総売上枚数は実に6831万9千枚。
これは昨年、秋元康氏に抜かれるまで長年日本一の座に君臨し続けた偉大な記録。
昭和の歌謡史に深くその名を刻む男、阿久悠。
昭和51年、都はるみ「北の宿から」、昭和52年 沢田研二「勝手にしやがれ」
昭和53年、ピンクレディー「UFO」、と日本レコード大賞3連覇。
休筆した翌年の昭和55年 八代亜紀「雨の慕情」でレコード大賞返り咲きを果たすなど、
昭和50年代、阿久の生み出した歌謡曲が時代を席巻します。
いったい何故、阿久の作詞した曲はこれほど売れたのでしょうか?
彼は作詞をするときに、ある決め事を自ら作っていました。それが…15か条の作詞家憲法。
「歌は時代とのキャッチボール。時代の隠れた飢餓に命中することがヒットではなかろうか。」
今回、その憲法を紐解く事で阿久悠作詞の曲のヒットの秘密に迫ります。
また未唯mieさんをはじめ、彼の詩の世界に直に触れた人たちの証言からも阿久悠の素顔を引き出します。
後年、作詞だけでなく小説家、時事評論とその活動の幅を広げ、それぞれの分野で成功を収めます。彼がここまで書くことにこだわったのには、若き日のある暗い出来事が影響していました。懐かしいあのヒット曲、そして様々な証言を通じて、阿久悠の魅力と彼の原点に迫ります。