昭和偉人伝
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土光敏夫
© 撮影:齋藤康一
「メザシの土光さん」。
国民から親しみを込めて呼ばれた第二次臨時行政調査会会長、土光敏夫。
エンジニアからスタートしたサラリーマン人生でしたが50歳で経営者となってからは、石川島播磨重工業の前身である石川島造船所の立て直しや東芝の経営再建を果たすなどその手腕を発揮しました。
そして、第二次臨時行政調査会(通称・第二臨調)の会長を引き受けたのが85歳の時。土光は参議院の特別委員会でこう答えています。「行政組織、国と地方の機能の分担、特殊法人のあり方につきまして基本的な見直しを行い、抜本的改革案を答申したいと考えております」そして、こう結びました。「私が老骨にもかかわらず臨調会長をお引き受けいたしましたのは、このままでは日本の将来は西欧先進国の例からからみましても、遠からずにっちもさっちもいかなくなるということは確実であります。しかし、いま国の歩みを変えるならば十分、間に合うと考えております。今回の臨調の仕事は国家に対する私の最後のご奉公と考え、全力を尽くしたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします」土光が出した答申は、赤字国債依存脱却を打ち出したもの。その根底には「増税なき財政再建」がありました。
「社会は豊かに、個人は質素に」を信条とし、日本の未来のために晩年の全てを捧げた
土光敏夫とは、どんな人物だったのか。
番組では、土光が東芝の社長時代から取材を続けるジャーナリストや経団連会長時代の秘書など、多くの関係者から証言を集め、長男・陽一郎氏が保管する自筆の日記から土光敏夫の素顔と苦悩に迫ります。