昭和偉人伝

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糸川英夫

日本宇宙開発のパイオニア、糸川英夫。惑星探査機「はやぶさ」が調査に向かった小惑星に「イトカワ」の名前が付けられたことで、注目を集めました。彼はなぜ、今も研究者たちが憧れる 存在なのでしょうか。 昭和20年。東京大学第二工学部で、航空機・飛翔体の研究をしていた糸川は、GHQにより、航空機の研究・開発を禁止されました。しかし、偶然見つけた宇宙に関する本をきっかけに、再び空への夢を膨らませます。 日本へ戻った糸川は、機体わずか23センチのペンシルロケットを開発しました。その後、彼は3年をかけて、全長5.4メートル、高度50kmに達するロケットを打ち上げました。燃料に用いたのは、「固体燃料」。世界の主流である液体ロケットに比べ、制御が難しい分コストは安く済みます。固体燃料によるロケット打ち上げは、日本オリジナルの技術として、最新国産ロケット「イプシロン」にも受け継がれています。 しかし一方で、多額の国費を使った技術開発を疑問視する声も上がりました。軍事目的では ないか、失敗ばかりで予算の無駄遣いだ。非難の声が高まった昭和42年、糸川は人工衛星の打ち上げ成功を待たずして、東大を退官します。 糸川が国産の技術にこだわった理由。それは、日本が敗戦以来、科学技術において欧米の 遅れをとってしまったから。このまま欧米の後追いをするのではなく、新しい分野を積極的に 研究することで、世界の技術の第一線に立つことが必要だと気づいていたのです。 番組では、教え子たちによる証言・ロケット発射場の記録映像をもとに、糸川英夫の実像を 浮き彫りにします。