昭和偉人伝
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石原裕次郎
昭和が産んだスター・石原裕次郎。その名は、死後26年を経た今も万人の心に刻み込まれています。彼はなぜ稀代のスターだったのでしょうか。戦後という言葉が消え戸惑いの中にも新しい自由な時代が訪れ始めた頃、石原裕次郎は彗星のごとく現れました。大衆からはその型破りな存在感と日本人離れしたスタイル、さらには、最先端を行くファッションで熱狂的な支持を集めました。そして、裕次郎はスターとして礎を築いていきます。当時、映画界にあった「五社協定」という巨大な壁に風穴を開けようと試み、裕次郎は黒部ダム建設を描いた大作「黒部の太陽」の製作に挑戦。撮影中に大怪我を負いながらも映画を完成させました。その後、会社倒産の危機にさらされるもテレビ進出を契機に状況を打破。さらに「生還率3%」という大手術を受けながらも見事に復活、私たちに"奇跡"を見せ続けたのです。
「時代の先端をゆく感性」「苦難を乗り越える精神力」「奇跡の生還」様々な伝説を持つ裕次郎は、なぜ、スターであり続けられたのでしょうか?番組では、裕次郎を長きに渡って支え続けた妻・まき子さんや、古くからの盟友である宍戸錠さん、裕次郎の最期の曲「我が人生に悔いなし」を作詞したなかにし礼さんなど、石原裕次郎を取り巻く多くの人にインタビューを行いました。見えてきたのは裕次郎が時には反発し、憎みながらも生涯追い続けてきた"ある男"の姿でした。多くの証言と秘蔵映像から、不世出のスター石原裕次郎の魅力、そして原点に迫ります。