中国神秘紀行
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世界遺産 大足石刻 6万体の大石像群の謎 ~重慶~
今回は、中国の西部の四川省から重慶市にかけて横たわる四川盆地にある世界文化遺産(1999年登録)/大足石刻(だいそくせっこく)と勇壮な火龍祭り(ひりゅうまつり)を訪ねる旅です。
大足石刻は、重慶市から西へ125キロ離れた大足という町周辺の山々に彫られた石仏群の総称です。唐代末期の9世紀から宋代の13世紀にかけて彫られた石仏の数は6万体にもなります。そのきっかけが唐代の「安史の乱」(755〜763年)。民衆を巻き込む激しい戦乱の世となったのです。戦乱の地である北の黄河流域から多くの文化人や有能な職人、高僧らが戦乱を逃れて次々と比較的社会が安定していた四川盆地に移り住みました。それと共に高僧が仏教を伝え、職人が腕をふるう中、大足では仏教石窟の造営が大流行しました。およそ360年に渡って彫られた石仏群は仏教芸術の傑作としてその美しい姿を今に伝えているのです。
大足石刻の見所のひとつが宝頂山(ほうちょうざん)です。ここには、宋の時代に彫られた石仏およそ1万体があります。32メートルの大きさを誇る釈迦涅槃像や天国と地獄の世界を表現したものなど表現が豊かで庶民にもわかりやすいのが特徴なのです。それは中国に残る多くの仏教石仏や石窟が当時の中国皇帝や権力者の命によって作られたものですが、大足石刻は民衆の手によって作られたものだからです。大足石刻の魅力は石像が語る世界に当時の人々の暮らしや思いが伝わって来る所にあります。
しかし、この大足石刻の造営は宋代の末期、突然終わりを告げるのです。
一体、なぜ終わりを告げる事になったのか?そこには世界史を変える大事件がありました。その大事件とは?
大足石刻のある麓の町、大足は彫刻の町でもあります。かつて大足石刻を彫っていた人々の子孫も残っているそうです。町の彫刻家の数はおよそ3万人にも登ります。現在の彫刻家の多くは、大足石刻の石仏の複製を作る仕事を手がけています。今の彫刻家の技術を持ってしても当時の彫刻のレベルは非常に高いとされているのです。
この地方には、旧正月の2月に行われる勇壮な祭りがあります。「火龍祭り」です。その勇壮さは他に類をみないほど華やかものです。なんと2000度の高温で溶かした鉄を空へとばらまき、降り掛かる溶解した鉄の粉塵の中で龍の舞いを踊ります。それも、人々は上半身を裸にして舞います。一体、火龍祭りとは何のための祭りなんでしょうか?
四川盆地に繰り広げられる美しくたおやかな仏教芸術の世界、そして勇壮できらびやかな火龍祭りを存分にお楽しみ下さい。
初回放送:2010年4月23日