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ストーリー

6/12(金)の放送
たまという名の電気自動車

TAMA E4S47 (1947)

日本のクルマの歴史ではいつも片隅に追いやられてきたが、60年以上も昔の我が国にはれっきとした電気自動車が存在した。クルマもガソリンも涸渇した敗戦直後の1947年、十指に余るメーカーの中でもイチバンと評価されたのが「たま」という名の電気自動車だった。現存するその1台と共に今回は60年前の我が国に思いを馳せることにしよう。しかも、トヨタやホンダではなくニッサンのルーツとなる東京電気自動車が1947年に製造したもの。1回の充電で時速28.3キロ、96.3キロ走行したという。

TAMA JUNIOR (1948)

1948年には一回り大きい乗用車「たまジュニア」を発売。商工省により重要産業工場の指定を受け、社員の士気が上がった。同じ年に「たまセニア」の試作車も完成。専用シャシーに40個の2ボルトバッテリーで5.5馬力を駆動した。1回の充電で10時間230キロを走行した。各省庁、大学、銀行などの注文が相次いだが、月20-30台しか生産できず、1年にして経営危機に陥った。そんな時に手を差し伸べたのがブリヂストン創業者の石橋正二郎であった。石橋宅の近くの急な鳥居坂を登りきったという。

TAMA SENIOR (1950)

1950年に「たまセニア」を発売。年400台を生産し、会社は絶頂期を迎えた。しかし、朝鮮戦争が勃発。電気自動車のバッテリーの原料となる鉛が何十倍にも高騰。1951年6月に生産を打ち切ることになった。その後、東京電気自動車は、富士精密工業の支援を受け、1952年にガソリン車の「TAMA」を発表。当時の皇太子が立太子礼を行ったことから「プリンス」と名付けられた。11月、社名をプリンス自動車工業に変更。以後、この高い技術力はニッサンの中に溶け込んでゆくことになる。