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ストーリー

8/31(火)・9/5(日)の放送
ラリーランチア特集

1973年から始まったWRCの歴史のうえで名門ランチアが記した功績はあまりにも大きかったのだが、ここではまずランチアにとっても苦しかったグループ Bの話からしよう。かつてラリー専用カーとしてストラトスを生み出したランチアもミッドエンジンのルノーやアウディ-・クワトロの出現によって次なる秘策を迫られていた。親会社フィアットの131アパルトも既にラリー界を去ったのち、グループBでの過渡期、80年代も半ばのことである。ここでランチャーがとった手法はあえて四駆とはしないミッドエンジンで、16バルブ4気筒にスーパーチャージャーを加えたものであった。

ラリー037からデルタS4へ

結局のところあまりにも美しい、ラリー037は同時にあまりにもロマンチックな車であった。どうあがいても第二世代のグループBというべきプジョー205 ターボ16や進化を続けるクワドロ勢を退けることはできなかったのだ。かくして85年11月の最終戦WRCラリーにこのデルタS4はデビューし、トイコネンとアレンの2台がワン・ツー・フィニッシュ。しかし、ランチア初の4WDにターボとスーパーチャージャーを装備したこのモンスター。タイトルには見放されてしまうのであった。

フルヴィアクーペラリー1.6HF

68年にデビューしたフルヴィアクーペという車は当時、日本でも正式に売られていた。ごくわずかだが、ホットなラリーHF1.6でさえその気になら手にいれられたのだ。しかし、そのラリーカーがトルシカやモンテカルロ、あるいはWRCでも勝ったという話は、まるでおとぎ話を聞くかのような時代のことだった。このHFはランチア伝統の狭いV型4気筒にフロントドライブの組み合わせで、先鋭的にして高性能、かつ耐久性もピカイチのとっても高度な車だったのだ。

ストラトス

いまこうしてストラトスを目の当たりにすると、こいつがデビュー・ウィンを飾った74年秋のサンレモの頃がやはりいい時代だった。何しろこの車はラリーの世界選手権の形が確立しようとしていた時期にフルヴィアHFの後釜としていけそうだということで71年のトリノ・ショーに出品されたレルトーネのクロトタイプに白羽の矢が立てられたものなのだ。エンジンはD-246-V6とされ、当然開発には時間もかかったが、それよりも手間どったのはグループ4の認可取得の方だった。