世界の名画 ~美の迷宮への旅~
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燃え上がる黄色は希望の光
ゴッホ「ひまわり」
37歳という若さで世を去ったゴッホが、画家として活躍したのは晩年のわずか10年に過ぎません。短い画業の中でも、南仏のアルルで活動した2年余りが、全盛期といわれています。その間、ゴッホはアルルの街と周辺の田園を毎日精力的に歩き回り、200点近くもの作品を残しました。「アルルの跳ね橋」や「夜のカフェテラス」、「ローヌ川の星月夜」など、ゴッホの代表作の多くが、この時期に生まれています。その中でもひときわ強烈な輝きを放つ作品が、ゴッホの代名詞ともいえる「ひまわり」です。
ゴッホはアルルで7点の「ひまわり」を手がけました。東京・新宿の損保ジャパン東郷青児美術館に収められている「ひまわり」は、中でもとくに色鮮やかな一枚です。ゴッホは花が咲いていた夏に4点の「ひまわり」を描きました。東京の「ひまわり」は、その一つをもとにして、同じ年の冬に制作されたと考えられています。
芸術家のユートピアを夢見たゴッホは、アルルでゴーガンと2カ月間制作を共にしました。「ひまわり」の連作は、ゴッホが活動拠点として借りた「黄色い家」のアトリエを飾るために描かれたものでした。東京の作品は、二人が共同生活を送っていた時期に制作された唯一の「ひまわり」です。ゴーガンはその絵を制作中のゴッホを肖像画に残しています。有名な耳切り事件以降、二人が再会することはありませんでしたが、実はその後も手紙での交流はつづいていました。そしてゴッホの死後も、ひまわりは友情の証のごとく、ゴーガンの心の中で咲きつづけていたのです。
明るい未来を夢見て創作に邁進していたゴッホの希望の光が満ちあふれているかのようなひまわりの花。ゴッホはどのようにしてあの強烈な色彩を見出したのか。そして、燃え立つような黄色にどんな思いを込めたのか。数々の傑作の舞台となった風景をめぐりながら、ゴッホのアルルでの創作の日々を追い、名作「ひまわり」の誕生の秘密に迫ります。